入院二日目の朝を迎えた。窓から差し込む光が、皮肉なほどに穏やかだ。

今日、いよいよ手術を受ける。一年余り、文字通り「身を削る思い」で共存してきた「いぼ痔」と決別する日が来たのだ。ようやくこの痛みと不自由から解放されるというのに、今の私の心は、手術への恐怖よりも別の「絶望」に支配されている。

結論から言えば、大部屋(6人部屋)を選んだのは、人生最大の判断ミスだったかもしれない。

昨夜、消灯の合図とともに始まったのは、安眠ではなく「地獄」だった。

カーテン一枚で仕切られただけの空間に、同室の老人たちが織りなす「個性の不協和音」が響き渡る。地響きのようないびき、不意に放たれる寝言、断続的な咳払い、そしてどこからか漏れる低い呻き声。

それだけならまだ、耳栓で防げたかもしれない。しかし、極め付けは人間の生理現象の生々しさだった。深夜の静寂を切り裂く排泄音、必死に堪えるような唸り声……。そして、逃げ場のないカーテンの隙間から、容赦なく漂ってくるあの独特の匂い。

病院という場所が、病を治すための聖域であると同時に、これほどまでに人間の「生」の生々しさを突きつけてくる場所だとは思いもしなかった。

正直、夜中に一人で泣きたくなった。

「気が狂いそうだ」という言葉は、こういう時に使うのだろう。

自宅の、自分の布団の、あの静かで清潔な空間がいかに贅沢で、どれほど守られた世界だったのか。日常の何気ない「快適さ」の有り難さを、この過酷な環境に身を置いて初めて、骨の髄まで思い知らされている。

「やはり、無理をしてでも個室にすべきだったのか……」

後悔の念が、暗闇の中で何度も頭をよぎった。

入院生活はまだ、あと六日も残っている。

果たして私は、この「音と匂いの迷宮」に七日間も耐え抜くことができるのだろうか。それとも、数日後には人間の適応能力を発揮して、この不協和音を子守唄代わりに眠れるようになるのだろうか。

今はまだ、そんな強さは持てそうにない。

皮肉なものだ。メスを入れられる手術の痛みよりも、この大部屋での共同生活の方が、今の私にとってはよほど苦しく、恐ろしい。

だが、時計の針は進む。

今日、私は長年連れ添った「厄介者」と決別する。まずはその一歩に集中しよう。身体が軽くなれば、少しは心に余裕が生まれるかもしれない。

……いや、やはり今夜のことが、今から憂鬱で仕方がない。