退院して二日が過ぎた。

ようやく自宅の生活リズムに体が慣れてきたものの、まだ体力的には本調子とはいかない。しかし、いつまでも休んでいるわけにもいかないという焦燥感もあり、今日は妻に付き添ってもらい、リハビリを兼ねて会社へ顔を出しに行くことにした。

会長の激励と、背後に立つ「違和感」

事務所のドアを押し開けると、そこには懐かしい、活気ある光景が広がっていた。

私の顔を見るなり、会長が満面の笑みで席を立った。

「早く帰ってくるんだよ! みんな待ってるからね!」

その力強い、温かな声が胸に深く染み渡る。自分がこれまで工場で積み上げてきた時間は無駄ではなかったのだと、肯定されたような気がした。

しかし、その幸福感のすぐ隣、会長の背後に黙って立っていたTZ常務の存在が、私の心をざわつかせた。

一言の労いもなく、ただじっとこちらを観察するような冷めた視線。その沈黙が、病み上がりの私の神経を逆撫でする。

「現場にも顔を出して帰ります」

私は逃げるように事務所を後にした。

車で待機する妻には「現場は一人で回ってくるから、ここで待っていてくれ」と伝え、慣れ親しんだコンクリートの床の上を歩いた。現場の仲間たちからの「お疲れ様」「無理するなよ」という言葉に、ようやく自分の居場所を取り戻したような安堵感を覚えた。

車内に漂う、不気味な気配

一通りの挨拶を終え、充足感と共に車に戻ると、助手席の妻がどこか困惑した、奇妙な表情で私を迎えた。

車を発進させ、帰路に着く。しばらくの沈黙の後、妻が膝の上に置かれた一冊の「謎の本」に目を落としながら、静かに口を開いた。

「実はね、あなたが現場に行っている間……。事務所の中にいたTZさんという人から、この本を渡されたの。『私が書いた本だから、貸してあげる』って」

さらに付け加えられた言葉に、耳を疑った。

「来週の火曜日には、必ず返してくれ」

と。

差し出されたその本のタイトルを目にした瞬間、私の全身から血の気が引いた。

『なぜ、あの人のがんは消えたのか?』

私は確かに、直腸(ケツ)のポリープを切除し、そのための休職中だ。

しかし、そのポリープが良性なのか、それとも悪性——つまり「がん」なのか——。その最も重要な病理検査の結果は、まだ出ていない。 本人でさえ結果を待っているというのに、なぜ、あえてこのタイミングで、このタイトルの本を家族に手渡したのか。

虚飾と不信。そして確信へ

さらに不可解なのは、その本の内容だ。

TZ氏は「私が書いた」と言ったらしいが、装丁をよく見れば、出版元はダイレクト出版。著者は海外の聞き慣れない作家の名前だった。

自分が書いたわけでもない翻訳本を、わざわざ「自著」のように装い、検査結果も出ていない人間に「がん」の本を押し付ける。その歪んだ親切心か、あるいは悪意か判別しがたい神経に、底知れぬ気味の悪さを感じた。

翌朝、私はこの違和感をそのままにしてはいけないと確信し、総務の担当者にLINEを送った。

感情を抑え、事実を淡々と伝えた。「家族共々、非常に困惑し、不安を感じている」と。

ほどなくして返ってきた総務からの返信は、迅速な謝罪の言葉だった。会社としてTZ氏の言動を把握し、適切に対応してくれたようだ。その誠実な対応に、ようやく胸のつかえが少しだけ取れた気がした。

退院後の初顔出しは、希望と不信が入り混じる、なんとも後味の悪いものとなった。

しかし、今回の件で学んだ。社会に戻るということは、会長のような光に触れる一方で、こうした理解しがたい影とも向き合っていくということなのだ。

来週の火曜日、私はあの本を事務的に返す。

中身は一行も読んでいないし、開く必要もない。

病理の結果を待つ不安な日々を、こんな不気味な出来事に邪魔させるわけにはいかない。

今はただ、自分と家族を信じて、前だけを向いて静養を続けようと思う。