「大丈夫」の裏側で、私は震えている

退院したばかりの頃、私の心はもっと凪いでいたはずだった。手術を終え、ようやく自宅の布団で眠れる安堵感。これからの生活をどう立て直そうかという、前向きな意欲すらあった。病理検査の結果待ちという現実は、確かに頭の片隅にはあったけれど、それはまだ「未来の不確定なイベント」に過ぎなかった。

それなのに、あの男の、あの配慮の欠片もない行動がすべてをぶち壊した。

職場のあいつだ。言葉を選ばずに言えば、常識が通用しない「キチガイ」のような振る舞いに、これまでも何度も辟易させられてきた。だが、今回は違う。私の病状や不在を肴にするような、あるいは不安を煽るような無神経な行動。そのせいで、私は意識しなくてよかったはずの「最悪のシナリオ」という濁流に、無理やり引きずり込まれてしまった。

一度意識してしまうと、もうダメだ。

もしも、あの腫瘍が悪性だったら。

もしも、私の体がこれまでのようには動かなくなったら。

考え出したら、暗闇はどこまでも深く続いていく。何をしていても、ふとした瞬間に冷たい指先が心臓を撫でるような感覚に襲われる。

家族という光、それが今は眩しすぎて

リビングに行けば、子供たちの笑い声が響いている。

まだ手もかかる、お金もかかる。やりたいことも、行きたい場所も、彼らには無限の未来が広がっている。それを支えるのが親としての私の役割だ。

「パパ、大丈夫なの?」

無邪気な瞳でそう聞かれたとき、私は反射的に「大丈夫に決まってるでしょ!」と、明るいトーンで返している。鏡で見れば、きっと完璧な「頼れる親」の顔をしているはずだ。けれど、その仮面の裏側では、冷や汗が止まらない。

今はまだ早すぎる。

子供たちが自立する姿を見届けるまでは、ここを動くわけにはいかない。学費のこと、進路のこと、日々の何気ない成長。それらすべてを、私はこの目で見守っていたい。

「もしも」が現実になったとき、この子たちの日常はどうなってしまうのか。それを想像するだけで、視界が歪む。

孤独な夜の独白

家族の前で演じ続ける「楽観的な自分」は、日に日に重荷になっていく。誰かに「怖い」と叫びたい。「助けてくれ」と縋りつきたい。けれど、それを口にすれば、家族の平穏まで壊してしまう気がして、言葉を飲み込むしかない。

あいつの行動をきっかけに芽生えた不安の種は、私の心の中で毒々しい根を張り巡らせている。あんな奴のせいで、私の大切な時間が汚されるのは我慢ならない。悔しくて、情けなくて、やりきれない。

病理の結果が出るまで、あとどれくらいだろうか。

カレンダーの数字を見るのが怖い。スマホの着信音が鳴るたびに肩が跳ねる。

これからの生活がどう変わるのか。そもそも「これから」は続いていくのか。

今はただ、この溢れ出しそうな恐怖を文字に書きなぐることで、かろうじて正気を保っている。

明日の朝、また家族の前で「大丈夫」と笑うために。

自分に言い聞かせる。今はまだ、何も決まったわけじゃない。

けれど、今夜だけは、この弱音を吐き出す場所が必要だった。

本当に、参った。

どうしようもなく、怖い。