また、あの重たい月曜日がやってきた。

新しい一週間が始まるというのに、私の身体はまるで泥をまとったかのように重い。ここ最近、夜の寝付きが悪いせいだろうか。布団の中で何度も寝返りを打ち、浅い眠りのまま朝を迎える日々が続いている。アラームの音でどうにか目を覚ましても、寝たはずの身体には疲労感がべっとりと張り付いたままだ。

しかし、立ち止まっている暇はない。私は重い四肢に力を込め、無理やり身体を起こした。

まだ家族の誰もが深い眠りの中にいる、静まり返った早朝の家。ここからが私の「時間との戦い」の始まりだ。みんなが起きてきてドタバタし始める前に、できる限りの家事を片付けておきたい。洗面所へ向かい、まずは風呂掃除に取りかかる。冷たい水でブラシを動かし、浴槽を磨き上げる。続いて洗濯機を回し、洗い上がった衣類をテキパキと干していく。せかせかと動き回っているうちに、少しずつ身体のエンジンがかかってくるような気がするが、それでも心のどこかにある「だるさ」は消えてくれない。家事をひと通り終えると、自分の支度をして、急ぎ足で玄関へと向かった。

最近、私は通勤の方法を変えた。

これまでは車で通っていた道を、片道十五分ほどかけて自転車で通うようにしている。本当の理由は、少しでも家計のために「節約」をしたいからだ。ガソリン代も馬鹿にならない昨今、小さなこと貯金だと思って始めたことだった。けれど、周囲に「節約のためで」と生々しい理由を言うのは少し気恥ずかしい。だから職場の同僚たちには、「いやあ、最近ちょっと運動不足でね。健康のために自転車通勤を始めたんだよ」と、小さな嘘をついて笑い合っている。

実際のところ、自転車というのは実に不思議な乗り物だ。一度サドルに跨り、ペダルを強く漕ぎ出してしまえば、風が心地よくて案外それほど気にならなくなる。問題は、「漕ぎ出すまで」なのだ。玄関のドアを開け、駐輪場に向かい、冷たいサドルに腰を下ろすまでのあのステップが、信じられないほどにダルい。月曜日の朝ともなれば、そのダルさは通常の数倍に膨れ上がる。今日も、「あ行きたくないな、車にすればよかったかな」というネガティブな思考が頭をもたげていた。

ところが、今日のアスファルトの上には、いつもと違う特別な出来事が待っていた。

カチャリとスタンドを上げ、まさにペダルに足をかけたその時だった。

「パパ!」

背後から、静かな朝の空気を切り裂くような、やたらと元気な声が響いた。驚いて振り返ると、そこには我が家の愛しい息子の姿があった。

一昨日は待ちに待った小学校の運動会だった。大はしゃぎで騒ぎ回っていた。今日の月曜日は代休。てっきり今頃は、布団の中で大の字になって泥のように眠っているものだとばかり思っていた。それなのに、わざわざパパの出発に合わせて、パジャマ姿のまま外まで飛び出してきてくれたのだ。

息子は、まだ少し眠たそうな目をこすりながらも、満面の笑みを浮かべて私を見上げている。

「パパ、気をつけてな!」

「頑張ってこいよ!」

小さな身体から、精いっぱいのエネルギーを込めた言葉が次々と飛び出してくる。

「帰ってきたら、ドーナツ買ってきておくからな!バイバイ!」

最後には、ちぎれんばかりに大きく手を振ってくれた。その小さな手が、私の心のなかのどんよりとした雲を、一瞬できれいに吹き飛ばしていくのが分かった。

「おう、行ってくるよ!ありがとな!」

そう応える私の声は、さっきまでとは比べものにならないくらい弾んでいた。

ペダルを踏み込む足に、ぐっと自然に力が入る。自転車は軽やかに滑り出し、朝の少し冷たい風が頬を撫でた。

さっきまでのあの重苦しさは、一体どこへ行ってしまったのだろう。

考えてみれば、本当に些細な出来事だ。ただ、子どもが見送ってくれた、それだけのこと。けれど、そんな小さな一言、小さな笑顔ひとつで、沈んでいた気持ちが跳ね上がり、身体の奥底から力が湧いてくるんだから、親という生き物は本当に単純で、面白いもんだなと思う。子どもを育てているようでいて、実は私たち親のほうが、彼らの何気ない優しさに生かされ、育てられているのかもしれない。

息子の言葉通り、今夜は美味しいドーナツが待っている。

そう思うだけで、今日一日のがんばる理由としては十分すぎるほどだ。私はペダルをさらに力強く踏み込み、月曜日の街へと元気よく走り出した。