ようやく一日の仕事が終わり、家族で囲む夕飯の賑やかさも一段落した。片付けを終えてソファに深く腰掛け、ようやく訪れた「自分だけの時間」をのんびりと楽しんでいた時のことだ。
ふと、目に違和感を覚えた。ここ数日、ニュースでも盛んに報じられている「黄砂」の影響だろうか。一度気になり始めると、強烈な痒みがじわじわと襲ってくる。こすってはいけないと思いつつも、不快感は増すばかり。ふと視線をやると、少し離れた棚の上に目薬が置いてあるのが見えた。
自分で立てば済む話なのだが、せっかく落ち着いた腰を浮かせるのが億劫で、近くにいた娘に声をかけた。
「ごめん、目が痒くてたまらん。そこの目薬、こっちに投げてくれ」
この「投げてくれ」という言葉。私の中では、放物線を描いてふわっと手元に届く、あるいは床を滑らせるように寄せてくれる、そんな「緩やかな意思疎通」を期待しての注文だった。地方特有の言い回しとして、単に「取って(渡して)ほしい」というニュアンスを含ませたつもりでもあった。
しかし、次の瞬間、私の視界に飛び込んできた光景は、想像を絶するものだった。
娘は、私の言葉を文字通り、いや、それ以上の熱量で受け取ったらしい。彼女はスッと立ち上がると、目薬をしっかりと指先にかけ、右腕を大きく振りかぶった。そのフォームは、まるで甲子園のマウンドに立つエースか、あるいは宿敵を打ち倒そうとする劇画の主人公のようだった。
「はいよっ!」
威勢のいい掛け声とともに放たれた目薬は、もはや「手渡し」の代用などという生易しいものではなかった。美しいまでのオーバースローから繰り出されたそれは、猛烈な回転を伴いながら、一点の曇りもない直線を描いて私を急襲したのである。
「えっ」と声を出す暇もなかった。
シュッという風切り音が聞こえたかと思うと、目薬の容器は私の耳元をかすめ、背後の壁に「ゴンッ!」という鈍い音を立てて激突した。もし直撃していれば、痒みどころか眼帯が必要になっていたかもしれない。壁に当たって跳ね返り、力なく床に転がった目薬を見つめながら、私はしばし呆然と固まってしまった。
当の娘はといえば、コントロールミスを悔やんでいるのか、あるいは自分の投球に満足しているのか、涼しい顔をしている。
私は思う。うちの娘の解釈が独特すぎるのか、それとも私の指示の出し方が現代の若者には通用しないほど前時代的だったのか。
「投げて」と言われて、本気でオーバースローを選択するその思い切りの良さ。あるいは、言葉を一切の忖度なしに100%の意味で捉えるその潔さ。
今の若い世代というのは、こうもストレート(文字通りの意味でも、球種の意味でも)なのだろうか。それとも、日頃のちょっとした鬱憤が、あの右腕に乗り移っていたとでもいうのか。
いずれにせよ、私は今日、大きな教訓を得た。
家族間、特に世代の違う娘に対する「軽い頼みごと」には、細心の注意を払わねばならない。曖昧な表現は時として凶器(文字通りの意味で)に変わるのだ。
「近くに寄せてくれる?」
「手渡しでお願いね」
次からは、そう具体的に、かつ安全第一で依頼しようと心に決めた。
壁に当たった衝撃で少し形が歪んだ(ような気がする)目薬を拾い上げ、ようやく瞳に一滴落とす。黄砂による痒みは引いたが、娘の「本気の投球」に対する驚きと、これからの生活への一抹の不安は、なかなか消えてくれそうにない。
明日の筋肉痛が、私ではなく娘の肩に来ないことを祈りつつ、今夜は早めに休むことにする。