副鼻腔炎の経過観察のため、耳鼻科を再診した。 結果は「最初よりは良くなっているが、完治まではまだ時間がかかる」という、なんとももどかしいものだった。実際に鼻の中をスコープで覗かせてもらうと、モニターには黄色いポリープのようなものが点在しているのが見える。今月も完治の報告は持ち越し。それに伴い、健康状態がクリアになるまで待とうと思っていた生命保険の見直しも、また一歩遠のいてしまった。

治りが遅いことを考慮し、今回から新しく漢方薬が処方に追加された。診察料と薬代を合わせ、三割負担でも支払いは6,000円を超えてくる。今月から「質素倹約」を掲げ、家計の徹底的な見直しを始めた身には、この出費は骨身にこたえる。 今年は減量に成功し、体そのものはかつてないほどキレている実感があるのだが、どうにも内面的な「流れ」が噛み合わない。そんな停滞感を覚えつつも、こればかりは「しょうがない」と無理やり気持ちを切り替えるしかなかった。

診察の際、なじみの先生が警鐘を鳴らすように教えてくれた。 「今、新型コロナがまた増えているから気をつけてね。新しい『ニンバス株』は、とにかく喉が凄まじく痛むから。もし感染したと思ったら自力で治そうなんて考えず、すぐに受診しなさい。私が診た患者さんは、喉の腫れ方が尋常じゃなかったよ。今はとにかくマスクをして過ごすことだね」

その言葉に、背筋が寒くなる。私のような立場では、コロナに感染して仕事を休めば、即座に収入激減へと直結し、生活の土台が揺らぎかねない。病そのものの苦痛も怖いが、それ以上に生活が立ち行かなくなる恐怖がある。細心の注意を払って、この波をやり過ごさなければならないと強く心に誓った。

しかし、目下の我が家には、コロナにも勝るとも劣らない「一大事」が今年も容赦なく襲いかかっている。 夏休みの子供の宿題問題だ。

夏休みの始まりには、子供たちは威勢よく「最初の一週間で全部終わらせる!」と豪語していたはずだった。毎日、自分の部屋へ向かう背中を見送りながら「勉強してくる!」という言葉を信じ、私はすべてを本人たちの自主性に任せていた。 だが、その信頼は脆くも崩れ去った。

ふたを開けてみれば、宿題のワークブックは見事なまでに「虫食い」状態。簡単な計算や得意なところだけを掠め取り、頭を使う難所はすべて手付かずのまま放置されている。よく考えれば、自分の部屋は漫画やゲームなど「気の散るもの」の大集合場所だ。そこで小学生が一人、ストイックに机に向かうはずがない。信じた私が馬鹿だった。

さらには、定番の「絵日記」。 ありのままを書けば「毎日ダラダラ過ごしました」という一行で終わってしまう。親として、そんな不名誉な記録を提出させるわけにはいかない。 そして最大の難敵、自由研究。 これに至っては、何をやるかさえ決まっていない白紙の状態だ。

今年は下の子も一年生になり、この地獄が単純に二倍になった。 「もう間に合わないなら、いっそ出さなきゃいいだろう!」 あまりの進捗のなさに、私は思わず語気を荒げて言い放った。ところが、普段は怠け者のくせに、子供というものは妙なプライドだけは持ち合わせているらしい。 「……やるんだ」 大粒の涙をこぼしながら、子供たちは絞り出すような声で訴える。泣きたいのはこっちの方だ、と焦る心を抑えながら、私は昨年の光景をフラッシュバックさせていた。

そうだ、去年も全く同じだった。 夏休みの終わり、数日間にわたって親が必死に子供の尻を叩き、深夜までかかって無理やり形を整えたあの屈辱と疲弊の記憶。子供も馬鹿野郎だが、去年の失敗をすっかり忘れて「自主性」という名の放置を決め込んだ自分も、大馬鹿野郎である。

夏休みは、あと二日。 ここから親子の、血を吐くような地獄の二日間が始まる。

そんな殺伐とした日々のなかで、唯一の癒やしがこの写真だ。 一年前、ホームセンターでわずか150円で投げ売りされていた小さなパキラの苗。それが私のささやかな世話に応えるように、一年でここまで大きく、青々と成長してくれた。 思い通りにいかない健康、計算通りにいかない家計、そして期待通りにいかない子供の教育。 何もかもがままならない現実のなかで、ただ静かに、まっすぐに成長し続けるこのパキラの存在だけが、今の私に「継続は無駄ではない」という小さな希望を教えてくれている気がする。

さあ、現実に戻ろう。 パキラを愛でる時間は終わりだ。ペンを握って泣きべそをかいている子供たちの横に座り、地獄の宿題マラソンに並走しなければならない。40歳の夏、今年も最後は体力と気力の勝負になりそうだ。


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