酒という名の、腐れ縁の相棒と距離を置いてから、半年が経とうとしている。
正確には去年の10月19日からだ。あの日、私は決意した。大好きで、片時も離れたくなかったビールと、一度お別れをしようと。もちろん、聖人君子のように完璧にこなせたわけじゃない。去年の年末には、抗いきれずに二度ほどその黄金色の誘惑に負けてしまった。けれど、その二回を除けば、私はずっと「控えて」いる。
振り返れば、20年近く。私の人生はビールと共にあった。ほぼ皆勤賞と言ってもいい。仕事で理不尽な思いをした日も、足が震えるほど悲しい出来事があった日も、いつも隣にはキンキンに冷えたビールがいた。喉を突き抜けるあの刺激だけが、私の心を摩耗から救ってくれた。ビールがあったからこそ、数々の夜を乗り越えてこられたのは紛れもない事実だ。ビールは単なる飲み物ではなく、戦友であり、唯一の理解者、最高の「相棒」だった。
しかし、その相棒はいつしか、私の自由を奪う支配者へと変わっていた。
依存しきっていたのだ。朝、目が覚めたその瞬間から「今日、酒を飲むこと」だけを唯一の目標にして、なんとか一日をやり過ごす。仕事中も、頭の片隅には常に冷蔵庫の中身がある。そうして平日も休日も関係なく、体からはアルコールが抜けきらず、常に気だるい重圧を感じながら過ごす。そんな毎日が当たり前になっていた。
ある時、ふと立ち止まって自分の人生を見つめてみた。そこに広がっていたのは、霞がかったような、輪郭のぼやけた日常だった。酒に酔い、あるいは酒が抜けるまでの気だるさに耐えるだけの時間。それは、言葉を選ばずに言えば「人生の時間の無駄遣い」そのものだった。
何より胸に突き刺さったのは、子供の言葉だ。「飲んでないパパが好き!」。
酒が入ると、どうしても感情の抑制が利かなくなる。自分ではそんなつもりはなくても、荒い言葉を投げつけたり、理不尽に怒ったりしていたのだろう。子供の真っ直ぐな瞳は、酔っ払った父親の醜さを正確に捉えていた。その言葉を向けられた時、私はようやく、自分がどれほど大切なものを踏みにじっていたかに気づかされた。
だからこそ、距離を取らなければならない。大好きだからこそ、今は離れなければならないのだ。
断酒を始めてから三ヶ月が過ぎた。正直に言えば、今でも辛い。街中の広告や、誰かが美味そうに喉を鳴らす音を耳にすれば、途端にあの感覚が恋しくなる。喉の奥がキュッと締まり、鼻腔があの麦の香りを勝手に思い出す。長年寄り添った相棒の影は、そう簡単には消えてくれない。
今、私の夜の主役はノンアルコールビールだ。
プシュッとプルタブを開ける音は同じ。グラスに注いだ時の泡立ちも、見た目もそっくりだ。けれど、一口含めば当然、あの心地よい麻痺感はやってこない。物足りなさを感じながら、ただ苦味だけを喉に流し込む。毎夜、毎夜、アルコールへの言いようのない恋しさを噛み締めながら、私はこの「偽物の相棒」をすすっている。
なぜ、こんなに苦しい思いをしてまで耐えているのか。
それは、先の未来のためだ。
酒の勢いで怒鳴る自分ではなく、子供と笑い合える自分でいたい。
アルコールの霧の中で過ごす10年ではなく、自分の足で立ち、自分の目でありのままの景色を見る10年を過ごしたい。
失ってしまった時間を取り戻すことはできないけれど、これから先の時間を守ることはできるはずだ。
将来の自分に「あの時、踏みとどまってくれてありがとう」と言わせたい。その一心で、私は今日も、恋しさをノンアルコールビールの泡と一緒に飲み込む。
静かな夜。まだ体はどこか物足りなさを訴えているけれど、明日の朝、目が覚めた時の頭の軽さを想像してみる。そこには、二日酔いの気だるさではない、新しい一日の始まりが待っているはずだ。
さあ、明日もまた、ビールなしの清々しい朝を迎えよう。
それが今の私にとって、最高のリベンジなのだから。