入院5日目。白い天井と、規則的に聞こえるナースステーションの足音にもすっかり慣れてしまった。

「今日も今日とて、することはない」

そんな一行から始まる日記が何ページも書けそうなほど、入院生活というものは驚くほど単調だ。朝起きて、検温して、食事が運ばれてくるのを待つ。持ち込んだ本はもう数冊読み終え、お気に入りの漫画も全巻読破してしまった。

手持ち無沙汰になると、逃げ場はスマートフォンの画面の中しかない。動画を流しっぱなしにし、それにすら飽きると、私は究極の「現実逃避」を決め込む。アイマスクを装着して視界を遮り、ヘッドフォンから流れる音楽に身を任せて、意識を微睡(まどろ)みの中へと沈めるのだ。そうしている間だけは、ここが病院のベッドの上であることを忘れられるような気がした。

しかし、今日という日は少しだけ変化があった。

午後の巡回時、看護師さんがトレイを持って現れた。そこに乗っていたのは、これまでナースステーションで厳重に管理されていたはずの「軟膏」だった。

「はい、これ。今日からはもう、自分で軟膏塗ってくださいね!」

明るい声でそう告げられた。術後の経過が良いということなのだろう。看護師さんの指示はこうだ。「術後からずっと当てているガーゼがあるでしょう? それにこの軟膏をたっぷりと出して、そのまま患部に押し当てるようにして使ってください」とのこと。

私の患部は、手術を経て「いぼ痔」から「切れ痔」のような状態へと変化を遂げていた。正直なところ、術後の痛みや違和感がある中で、この軟膏のケアこそが今の自分には最も必要だと感じていた。しかし、これまでは「処置は看護師が行うもの」というルールがあったのか、薬はナースステーション預かり。自分では手出しができず、もどかしい思いをしていたのだ。

そんな経緯がある中での、あの「今日からは自分で!」という台詞。

(……いやいや、ちょっと待ってくれ)

私の心の声が、静かに、しかし力強くツッコミを入れた。

(それを言うなら、最初から渡しておいてくれればよかったんじゃないのか? そうすれば、私がわざわざ看護師さんを呼んで、申し訳なさを感じながらお尻を晒す回数だって、もっと減らせたはずだろうに!)

「自分で塗る」という自由を手に入れた喜びよりも、「もっと早く渡してくれよ」という効率の悪さへの不満が、一瞬だけ胸をかすめた。ナースステーションで大切に保管されていたあの軟膏を、もっと早く私の手元にリリースしてくれていれば、お互いにとっても手間が省けたのではないか。そんな合理的すぎる思考が頭を巡る。

けれど、ここは病院だ。きっと段階的なケアのルールや、術後の患部の状態をプロの目で確認しなければならない期間があったのだろう。そんな理屈は分かっている。

だから私は、心の中の毒づきをそっと飲み込み、マスクの下で精一杯の「優等生な患者」を演じることにした。

「あ、わかりました! ありがとうございます」

顔には満面の笑みを浮かべ、まるで待ち望んでいたプレゼントを受け取るかのような手つきで軟膏を受け取る。

看護師さんが去った後、手元に残った軟膏のチューブを見つめる。

明日からは、誰に気兼ねすることなく自分のタイミングでケアができる。それは、私のプライドにとっても、お尻の平穏にとっても、大きな一歩だ。

消灯時間まで、まだたっぷりと時間はある。

新しいミッション(軟膏を塗る)を終えた私は、再びヘッドフォンを装着した。次は何の曲を聴こうか。単調な入院生活は、まだもう少しだけ続く。