子供たちとプールで思い切り遊び、心地よい疲れが体に残っている。しかし、ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは、今の自分を形作ってしまった「あの時」の記憶だ。今日は、今や「憎き」とさえ呼んでしまう我が社との、忌まわしき出会いについて記しておこうと思う。
すべては、父のコネから始まった。
新卒から二十歳で入社した前の会社は、製造業という点では同じだったが、業種は今とは全く別物だった。10年という歳月を捧げ、心血を注いできた仕事だった。しかし、時代の荒波は容赦なく、会社は業績不振の泥沼に沈んでいった。リストラ、大幅な給与カット。全従業員一律5万円という、スズメの涙ほどのボーナス。縮小していく事業規模を目の当たりにし、私は将来への言いようのない不安に押しつぶされそうになっていた。
「こんな会社、いつでも辞めてやる!」
毎晩、酒を煽っては、家族の前でそう毒づくのが口癖だった。しかし、本心では怖くて仕方がなかった。10年積み上げたキャリアを捨て、未知の世界へ飛び込む勇気が、なかなか持てずにいたのだ。
そんな時、父の顔が浮かんだ。父が勤める会社は、この不況下でも安定して仕事があり、ボーナスもしっかり出ているという。何より、父は勤続40年を超える工場長。従業員の最上位に君臨する、いわばその現場の「王」だった。
「あそこなら安心だ。父がいるなら間違いない」
今思えば、なんと浅はかで甘い考えだったことか。だが当時の私は、沈みゆく泥舟から、豪華客船に見える「地獄への渡し舟」に飛び移ることに必死だった。
まずは会社見学を、と父に頼み込んだ。案内された工場では、誰もが忙しそうに動き回っていた。怠けている者など一人もいない。「なんて活気のある、素晴らしい会社なんだ。ここでなら自分も輝けるはずだ」と、私は胸を熱くした。
今ならはっきりと分かる。あの時目にしたのは、効率的な労働などではなかった。ただ、上司に立ち止まっている姿を見つかれば怒鳴り散らされるから、それを恐れて無意味に動いていただけなのだ。仕事をしているフリをしなければ生き残れない、恐怖政治の縮図だったのだ。しかし、若く愚かだった私は、その異様な光景を「理想の職場」だと勘違いしてしまった。
「転職決定だ」
決めたら最後、私は猪突猛進だった。在籍していた会社の社長や部署長、直属の上司が「もう少し考え直した方がいい」と、親身になって引き止めてくれた。それでも私は、それらの言葉をすべて振り切り、強気に退職届を叩きつけた。新天地への期待に、胸を高鳴らせていた。
しかし、運命の歯車が狂い始めたのは、入社を控えたある日のことだ。
「俺からも話しておくが、一応、挨拶の電話くらいは入れておけ」
父に言われるがまま、私は新しい職場へ電話をかけた。受話器を握る手に、少しの緊張と、これからの希望を込めて。
ところが、電話口に出た事務員の対応は、予想に反して冷酷なものだった。
「あなたは誰ですか? あなたのことなんて知りませんし、聞いてません!」
「なんなんですか!」
取り付く島もないとは、まさにこのことだ。後に知ることになるが、彼女は役員の娘で、この会社特有の選民意識の塊のような人物だった。挨拶すら拒絶される異常事態。普通なら、この時点で「この会社はやばい」と気づき、踏みとどまるべきだったのかもしれない。
だが、私はそのまま一歩を踏み出してしまった。パワハラという名の祭りが、休むことなく開催される狂気の世界へと。
プール帰りの重い体を引きずりながら、あの時の自分に言ってやりたい。「その船は、沈みゆく泥舟よりも残酷な場所へ向かっているぞ」と。しかし、もう時計の針は戻せない。
続きは、また後日。パワハラ祭りの詳細を思い出すだけで胃がキリキリするが、それもまた、今の私を構成する「毒」の一部なのだろう。