バレンタインデー。正直なところ、この年齢になると自分にとってはカレンダーの上の記号に過ぎない。甘い思い出も、胸の高鳴りも、今や遠い過去の遺物だと思っていた。しかし、どうやら我が家の小学2年生の娘にとっては、人生を左右するかのような「一大行事」だったらしい。

今日、娘は意中の男の子の下駄箱に、ラブレターらしきものを忍ばせてきたという。令和のこの時代、SNSだの何だのと騒がしい世の中でも、まだ「下駄箱に手紙」という古典的な風習が生き残っていることに、驚きを通り越してどこか感心してしまった。

「娘が誰かのものに!」という父親特有の寂しさは、不思議と微塵も湧いてこない。それよりも、小2にしてラブレターとは、ずいぶんとませたものだという呆れが勝る。そして何より、親としての切実な願いはただ一つ。「相手の親からクレームが来るような、変なトラブルに発展しないでくれ」ということだけだ。子供の純粋な恋心に、大人の世知辛い事情を重ねてしまうのは、私が汚れきった社会に身を置いているせいなのだろうか。

工場に吹き荒れる理不尽の嵐

そんな家庭の微笑ましい(?)エピソードとは対照的に、私の職場は今日も今日とて、どす黒い理不尽が渦巻いていた。ものづくりの最下層と自嘲したくなるようなこの会社では、無関係な人間が理不尽に叱りつけられる光景が、もはや日常のノイズとして定着している。今日は特に、そんな「公開処刑」を二度も目撃させられた。

【ケース1:善意が仇となる瞬間】

朝の工場内。通路を塞ぐほどではないが、空の網パレットが確かに散乱していた。しかし、そこは「面倒な奴」の代表格であるTC(ばか課長)の管轄エリアだ。私は長年の経験から知っている。ああいう場所に近づけば、必ず火の粉が飛んでくる。だから私は、視界に入れつつも徹底的に距離を置く。

ところが、お人好しのS氏が動いてしまった。おそらく「散らかっているから片付けておこう」という、純粋な善意だったのだろう。彼がパレットに手をかけた瞬間、まるで事務所で監視カメラでも凝視していたかのようなタイミングで、副社長が血相を変えて飛び出してきた。

副社長:「いつも使わねぇパレットだらしなく出しっぱなしにしやがって!しっかり使うのと使わねぇの整理しろ!これもこれも、一体いつから置きっぱなしなんだ!」

これまでの鬱憤をすべて吐き出すかのような猛烈な雷。しかし、叱られているS氏は全くの管轄外だ。本来その怒りをぶつけられるべきはTCのはずなのに、なぜか「今、目の前で動いている人間」がターゲットにされる。我が社において、「良かれと思って」行動することは、時に致命傷になりかねない。S氏の項垂れた背中を見ながら、私はただ、自分の沈黙が正解であったことに冷ややかな安堵を覚えるしかなかった。

【ケース2:確信犯の沈黙と、巻き添えの拒絶】

二つ目の惨劇は、産業廃棄物を扱うY君の周りで起きた。彼はとにかく、仕事がだらしない。毎日、工場の通路に産廃をこぼしていくのだが、彼の妙なこだわりなのか、自分で掃除をすることは決してない。結局、毎日別の人間や、時には経営陣までもが彼の後始末をさせられている始末だ。

朝のパレット事件で虫の居所が悪かったのだろう。副社長が、別の作業で忙しそうにしていたY君を捕まえて一喝した。

副社長:「お前が掃除しろ!毎日汚しやがって!」

ようやく正当な報いを受けたか、と思わなくもない。しかし、怒鳴られたY君は、なぜかこちらを助けを求めるような、困り果てた目で見上げてくる。冗談じゃない。ここで目が合えば、次はこちらに火の粉が飛んでくる。

私は無言のアイコンタクトを送った。

「とばっちりが来るから、こっちを見るな!」

非情かもしれないが、これがこの「地獄」で生き残るための鉄則だ。

理不尽の地層の中で

娘が学校で紡いでいる「純粋な好意」の世界。一方で、大人が職場で繰り広げている「責任転嫁と理不尽」の世界。この二つの世界のギャップに、眩暈がする。

小さな理不尽から、組織の構造的な欠陥から来る大きな理不尽まで。それらが幾重にも重なり合い、地層のように積み上がっているのがこの会社だ。

娘がいつか社会に出た時、せめてもう少し、筋の通った世界であってほしいと願わずにはいられない。そのためには、まずは彼女のラブレターが、平和な結末を迎えることを祈るばかりだ。

工場の罵声も、網パレットの散乱も、すべて忘れて過ごしたい。