我が社には、人間というカテゴリーに分類して良いのか迷う御仁がいる。TZ常務だ。

巷では「化け物」「怪物」と畏怖を込めて(あるいは純粋な恐怖を込めて)呼ばれている。

誤解のないように言っておくが、彼は決して根っからの悪人ではない。…はずだ。

しかし、彼と同じ空間で仕事をすると、仏の顔も三度どころか、一秒ごとに殺意に近い激しい苛立ちが沸き起こるのを禁じ得ない。

歴代、彼の下で、あるいは隣で煮え湯を飲まされてきた同僚たちは異口同音にこう吐き捨てる。

「あいつは、根本的に頭のネジが数本どころか、規格ごと狂っている!」と。

今日もそんな彼の「伝説」を思い返し、深い溜息をつく一日となった。

第一の事件:消えたレンチの長さ

先日、配管のメンテナンス作業をしていた時のことだ。

配管のバルブを回すためのレンチ。これはテコの原理を働かせるために、元々かなり長めに設計されている。狭い場所で作業をしていれば、当然どこかの壁や配管に干渉することもある。

普通の知性を持った人間なら、「おっと、当たってしまうな」と考え、レンチを差し替えたり、角度を変えたりして工夫しながら回すものだ。

だが、TZ常務に「工夫」という概念は存在しない。

彼は、干渉する壁ではなく、レンチそのものに非があると判断したらしい。

彼はおもむろにガス切断機(酸素)を持ち出すと、轟音と共にその高価なレンチを真っ二つにぶった切ったのだ。

火花が散り、金属が焼き切れる臭いが立ち込める中、彼は短くなったレンチでバルブを回し、何事もなかったかのようにこう叫んだ。

「長かったっけに!邪魔だったから切っといたぞ!」

颯爽と立ち去る彼の背中を見送りながら、現場にいた一同は、ただただ口を開けて唖然とするしかなかった。道具を愛でる心も、共有財産という認識も、彼の「今、目の前の問題を最短距離(物理)で解決する」という原始的な衝動の前では無力なのだ。

第二の事件:暴走するハルク

また別の日、取引先のトラックが積み込みを終え、いざ出発しようとした時のことだ。

運悪くバッテリーが上がってしまったらしく、エンジンがかからない。

通常であれば、ブースターケーブルを持ってきて他の車と繋ぐか、ロードサービスを呼ぶのが「現代人」の選択だ。

しかし、我らがTZ常務の脳内回路は、19世紀の蒸気機関かそれ以前の筋肉信仰で止まっている。

彼は何を血迷ったか、無言で2トントラックの後ろに回り込み、その巨体に肩を当てた。

「まさか」と思ったが、その「まさか」だった。彼はトラックを自力で押し始めたのである。

別に坂道で立ち往生しているわけでもない。移動させる必要などどこにもない。

それなのに、彼はテレビ番組『SASUKE』のファイナリストかのような形相で、血管を浮き上がらせてトラックを押し続けた。

周囲が「危ない!」「やめろ!」と怒号を飛ばすのも、彼には心地よい声援にしか聞こえていないようだった。

結果、トラックは数メートル無駄に移動し、TZ常務は力尽きた。

しかし、ここからが彼の真骨頂である。彼は明らかに足を痛めていた。

引きずりながら歩くその姿は、戦場から生還した手負いのヒーロー、あるいは暴走の果てに自壊した「超人ハルク」そのもの。

悲劇的なのは、彼が「誰も頼んでいない、全く無意味な行為」で怪我を負い、結果としてその後の通常業務を肉離れで欠勤したことだ。

彼が空けた仕事の穴を埋めるのは、いつだって残された我々「普通の人々」なのである。

第三の事件:2,000円の「慈悲」

そして、最もたちの悪いエピソードがある。

ある猛暑の日、一人の社員が汗だくで作業をしていた。

その日は運悪く着替えの予備を忘れてしまい、本人はベタつくシャツに不快感を募らせていた。

そこに、どこからともなくTZ常務が現れたのだ。

「おう、着替え忘れたんか!俺が持ってきてやるっけ、待ってろ!

珍しく、いや、初めてと言っていいかもしれない彼の「善意」に、その社員は感動すら覚えたという。

しばらくして彼が持ってきたのは、何の変哲もない真っ白なTシャツだった。

「たまには良いところがあるんだな」と、社員は感謝しながらそのシャツを借りて帰宅した。

悪夢は翌朝に待っていた。

出勤するなり、TZ常務はその社員のデスクへ詰め寄り、こう言い放ったのだ。

「昨日やったTシャツ代、2,000円払え!」

社員は耳を疑った。どう見ても量販店で3枚1,000円程度で売られている安物だ。しかも「貸してやる」ではなく「持ってくる(=売る)」だったのか。

結局、その社員は怒りを通り越した賢者タイムに突入し、黙って2,000円を支払ったという。

それ以来、社内には鉄の掟ができた。

「TZ常務の善意には、決して触れてはならない」

結びに代えて

悪い人ではない。本当に、悪気はないのだ。

ただ、彼の行動原理は「親切」や「効率」という言葉では説明がつかない。

それは天災に近い。

予測不能で、破壊的で、事後処理には莫大な労力がかかる。

彼の伝説はこれだけにとどまらない。

重機を使わずに素手で壁を壊そうとした話や、真冬に冷水で洗車を始めて凍結させた話など、枚挙にいとまがない。

全てを書き記そうと思えば、この日記帳が何冊あっても足りないだろう。

明日は何が起きるのか。願わくば、私の目の届かないところで、彼が静かに(彼に静寂など不可能だろうが)過ごしてくれることを祈るばかりだ。

心身ともに疲れ果てたので、今日はもう眠ることにする。

あぁ、明日会社に行きたくない。