先週のあの瞬間から、私の世界は一変してしまった。
突然襲ってきた腰の痛み。それは最初、微かな違和感に過ぎなかったが、日が経つにつれて確実に、そして残酷に私の生活を侵食していった。今や、鎮痛剤なしでは日常生活を送ることすら困難な状況だ。
日中、普通に過ごしていても、腰の奥底で「シクシク」という鈍い痛みが絶え間なく疼いている。まるで、私の体の中に消えない種火がくすぶり続けているかのようだ。そして、いざ体勢を変えようとすれば、事態は一変する。「ビキビキビキッ!」と、脊髄を突き抜けるような、鋭利な電撃が走る。
職場でも自宅でも、私は常に自分の腰の「ご機嫌取り」をしながら生きている。
椅子から立ち上がる。靴下を履く。あるいは、ただ落ちたものを拾おうとする。そんな当たり前の動作の一つひとつが、今の私にとっては命がけのミッションだ。狂言師のように「ソローリ、ソロリ」と、極限まで動きをスローダウンさせ、腰に「今から動くよ、いいかい?」と問いかけながら、対話するように動作を積み重ねるしかない。機敏な動きを誇っていた自分は、もうどこにもいない。
さらに追い打ちをかけるのが、夜の訪れだ。
「寝れば治る」「横になれば楽になる」という淡い期待は、冷酷に裏切られる。布団に横たわっていても、あの「シクシク」という不快な拍動は止まってはくれない。それどころか、無意識の寝返りひとつで走る激痛に、無理やり意識を現実に引き戻される。熟睡なんて、もう遠い記憶の彼方だ。寝ても覚めても、私は痛みという名の「招かれざる相棒」と四六時中、手を取り合って過ごさなければならない。
最悪な日常生活だ。
何をしていても、どこにいても、思考のバックグラウンドには常に「痛み」が居座っている。美味しいものを食べても、子供たちの笑い声を聞いても、心の底から楽しむことができない。ただただ、気が滅入っていく。
原因は、はっきりしている。
あの忌々しい仕事だ。コンクリートを破壊するためのドリル——「コンクリートブレーカー」に掴まった、あの日だ。確かに目的のコンクリートは粉々に粉砕できたかもしれない。だが、その代償として、私は自分自身の腰をも破壊してしまったらしい。
それもこれも、あの馬鹿上司のせいだ。
私は、作業の負担を考慮して「足で体重をかけて押し付けるタイプのブレーカー」を準備してくれと、明確に伝えていた。それなのに、あいつが持ってきたのは、えらく身の丈の短い「手持ち式」のブレーカーだった。
例えるなら、長距離の獲物を仕留めるために「ライフルが欲しい」と頼んだのに、目の前に「サブマシンガン」を放り出されたようなものだ。道具としては確かに同じ部類かもしれないが、用途も特性も、体への負担も全く違う。
ブレーカーが短すぎるせいで、私は終始、不自然に腰を曲げた「変な体勢」を強いられた。その不安定な姿勢のまま、激しい振動が全身を襲う作業を続ければどうなるか。案の定、機械の生み出す狂暴なエネルギーはすべて、私の手首から腕を伝い、逃げ場を失って腰へと直撃した。私の腰は、文字通り限界を迎えたのだ。
何より恐ろしいのは、私には「前科」があるということだ。
二十年前、私は椎間板ヘルニアを患い、メスを入れた。腰椎の軟骨を人工骨に置き換えるという、大掛かりな手術を経験している。その古傷が、今回の無茶な作業によって再び牙を剥いたのかもしれない。
「また、あの手術台に登ることになるのだろうか……」
そんな考えが頭をよぎるたび、目の前が暗くなる。もし再手術なんてことになれば、仕事は長期で休まざるを得ない。当然、収入面は大きな打撃を受けるだろう。ただでさえ平穏に暮らしている家族の生活に、多大なる負担と心配をかけることになる。一家の大黒柱としてのプライドも、将来への不安にかき消されてしまいそうだ。
そして、これは誰にも言えないが……何よりも耐え難い「嫌な記憶」がある。
全身麻酔から覚めた直後の、あの忌まわしい感覚だ。意識が朦朧とする中で感じる、陰部にホースが突き刺さっているあの不快感。あのアナログで、尊厳を削られるような処置をまた受けるのかと思うと、それだけで「もう勘弁してくれ」と叫びたくなる。
あぁ、本当に参った。
心も体もボロボロだが、それでも明日になれば太陽は昇り、私は仕事へ行かなければならない。家族のため、生活のため、痛む腰をなだめすかしながら、現場に向かうしかないのだ。
今はとにかく、保存療法を続けてみることにしよう。
毎日、上限ギリギリまでロキソニンを飲み続け、荒れ狂う神経をなんとか鎮めることに全神経を集中させる。薬の力が効いている間に、少しでも炎症が収まってくれることを祈るばかりだ。
「治るといいな……」
独り言のように呟いてみるが、その言葉は春の空気に力なく溶けていく。
ふと目をやると、家の前で育てているチューリップが、今年も変わらずに咲いていた。
鮮やかな色が、今のモノクロームな私の心に、ほんの少しだけ彩りを添えてくれる。
明日の朝、少しでも痛みが和らいでいることを、この花に願いながら、今日という最悪な一日を閉じようと思う。