カレンダーが4月に切り替わると同時に、我が社にも春がやってきた。といっても、世間一般の瑞々しい春の訪れとは少し趣が異なる。今日から、一人の新入社員が私たちの仲間に加わった。

大学を卒業したばかりの、まさに「ぴかぴかの新社会人」。その経歴だけを見れば、どこの企業にもいる初々しい若者だ。しかし、この平穏なオフィスに漂う異様な緊張感と、どこか浮足立った空気の理由は、その彼女の背後に透けて見える「影」にある。

彼は、我が社の経営陣の一角、TZ常務のご子息なのだ。

「うちの会社は、結局のところ、こういう場所なのだ」と、改めて突きつけられたような気がする。入社前から、社内の騒ぎようといったらなかった。皆、自分の仕事はそっちのけで、まるで王族を迎え入れる準備でもしているかのように、気を遣い、神経をすり減らしていた。

彼女の用意された席は、当然のように「一等地」だ。新調されたデスク、最新スペックのパソコン、そして数日前には、副社長自らがそのデスクに置かれる「新しい椅子」に腰掛け、座り心地を確かめるという、もはや喜劇のような光景まで繰り広げられた。レイアウト変更に余念がない上層部を見て、私は心の底で「お粗末様である」と毒づかずにはいられなかった。

この会社において、「身内であること」「血の繋がりがあること」は、どんなスキルや資格よりも、どんな実績よりも強力な、文字通り「最強の武器」なのだ。

底辺から見えた、唯一の「光」

正直に言えば、私のような現場の末端、いわゆる「底辺」の人間にとって、彼のような特権階級の新人とは、今後も接点などほとんどないだろう。住む世界が違うのだ。彼が進むのは、あらかじめ舗装され、絨毯が敷き詰められたエリートコースであり、私たちが歩む泥臭い現場とは繋がっていない。

チヤホヤされる彼女を遠巻きに眺めながら、どこか冷めた視線を送っていた私だったが、ふと、彼女のある行動に目が留まった。

それは、教育係の先輩から何らかの説明を受けている時のことだった。彼女は、周りの騒がしい過保護ぶりなどどこ吹く風で、手元のノートにじっと目を落とし、ペンを走らせていた。

「メモをとりながら、仕事をしている。」

たったそれだけのことだ。社会人としては当たり前、基本中の基本と言われる動作かもしれない。しかし、その「当たり前」を、これほど特異な状況下で淡々とこなしている彼女の姿に、私は今日初めて、微かな親近感を覚えた。

豪華な椅子も、最新のPCも、副社長の試し座りも、彼女自身の価値ではない。それらはすべて「与えられたもの」だ。しかし、ペンを握り、教わったことを自分の言葉でノートに書き留めるという行為だけは、紛れもなく彼女自身の意思であり、彼女自身の努力である。

先輩の心を掴む、もっとも泥臭い一手

これから社会に出る人、あるいは新しい環境で働き始めるすべての人に、私は声を大にして伝えたい。

「身内のコネ」という最強の武器を持たない私たちにとって、あるいは持っていたとしてもそれを使わずに生きていこうとする者にとって、「メモをとる」という行為こそが、実はもっとも強力な生存戦略になるのだと。

なぜ、メモをとる姿が人の心を打つのか。

それは、相手の話を「一言一句漏らさずに受け取ろう」という敬意の表れだからだ。教える側にとって、自分が話している最中に新人が熱心に筆記している姿を見るのは、悪い気はしない。むしろ、「この子はちゃんと学ぼうとしている」という信頼感に繋がる。

仕事のスキルなんて、最初はなくて当たり前だ。ミスもするだろうし、役に立てない時間も長い。しかし、ノートに向き合うその姿勢一つで、先輩たちの心はぐっと掴める。それは、どんな高価なオフィスチェアに座るよりも、ずっと価値のある「仕事への向き合い方」なのだ。

結局、組織というものは人の感情で動いている。どれだけAIが進化し、システムが効率化されても、最後に助けてくれるのは「あいつは一生懸命メモをとって頑張っていたな」という、誰かの小さな記憶だったりする。

桜の季節に想うこと

帰り道、街を彩る桜を見上げた。

今年も見事に咲き誇っている。風に舞う花びらは美しく、同時にどこか儚い。

新入社員の彼女も、今はまだ、周囲に過剰なほど守られた温室の桜のような存在かもしれない。けれど、今日彼女が手にしたそのペンが、いつか彼女自身の本当の実力として花開くことを、ほんの少しだけ願ってしまった。

「身内」という武器を持たざる我々は、明日もまた、ボロボロになった自分のノートを相棒に、泥臭く現場を這いずり回る。けれど、その一筆一筆が、いつか自分だけの「最強の武器」になると信じている。

お粗末な会社の内情に呆れつつも、新人のひたむきな一手に救われた、そんな4月1日の日記。

今日の写真も、やはり桜。

この花が散る頃には、あの新入社員のノートは、どれくらい書き込まれているだろうか。