今週、我が家の家計は未曾有の「浪費爆発」に見舞われている。

きっかけは、ほんの些細な、日曜日の午後の出来事だった。あの日、あのショッピングモールで私が認めてしまった一つの「負け」が、これほどまでに高くつくとは、その時の私は知る由もなかった。

事の始まりは、5歳になる長男、通称「坊」だ。

彼はその日、自分の財布に大切にしまった1000円札を握りしめ、期待に胸を膨らませてモールへと向かった。年長さんになろうとする彼にとって、自分の金で好きなものを買うという行為は、大人の階段を登るような誇らしいイベントだったに違いない。

おもちゃ売り場に到着するなり、彼は真っ先に、お目当てのカービィのぬいぐるみを抱きかかえた。しかし、無情にも値札には「2700円」の文字。

「坊、それは1000円じゃ買えないぞ」

諭すように伝えたが、ここからが「鉄板」の展開だった。案の定、ぐずり病が発症したのだ。公共の場でのぐずりは、親にとってはもっとも避けたい事態である。私たちはひとまず、戦力を二分することにした。妻と娘のチーム、そして私と坊のチーム。私はこの粘り強い5歳児をマークする担当を引き受けた。

だが、ここからが誤算だった。

かつての彼は、泣いて喚いて諦めるか、あるいは無理やり連れて行かれるかのどちらかだった。しかし、成長した彼は一味違った。「感情」ではなく「論理」と「根気」で攻めてきたのだ。

「パパ、これは1000円で買える?」

「いや、買えないな」

「じゃあ、これは?」

「それも無理だ」

今のご時世、1000円で買える娯楽品など、たかが知れている。ワゴンセールの隅に追いやられた小さなタンクローリーが関の山だ。しかし彼は諦めない。次から次へと棚からおもちゃを引っ張り出し、私の顔を覗き込んで、同じ質問を繰り返す。

「パパ、これは?」

「ダメだ」

「パパ、これは……?」

そのやり取りは、実に一時間にも及んだ。

抱きかかえては聞き続け、戻してはまた別のものを抱える。終わりの見えない千日手。私の精神は、徐々に削り取られていった。一時間、ひたすら「買えない」と言い続けるストレスは、工場の騒音や重労働よりも、もっと鋭く神経を逆撫でする。

そして、ついにその時が来た。

「……わかった。もう、好きなのを買ってやる」

私の完敗だった。長期戦に持ち込まれ、根負けしたのだ。2700円のぬいぐるみを手にした坊の、あの弾けるような笑顔。勝利の凱歌をあげる姿を見て、私は深い溜息をついた。だが、この敗北は単なる2700円の出費では済まなかった。

この「特別枠」での勝利を、隣で見ていた娘が見逃すはずがない。

当然の如く「ずるい!」の叫びが上がる。不公平感は家庭内の不和を招く。私は火消しに走るべく、娘の欲しいものを聞いた。

「Java版のマインクラフト……あと、パパのパソコンも貸してほしい」

ゲームソフトの購入に加え、私のデジタル領域までもが侵略されることが決定した瞬間だった。

さらに、この波及効果は最大勢力である妻にも及ぶ。

「ホワイトデーはもう渡したじゃないか」という私の微かな抵抗など、どこ吹く風。彼女はニューバランスのスニーカーを平然と要求してきた。もはや、この流れを止める術は私には残っていなかった。

一人の幼児の粘り勝ちが、ドミノ倒しのように家族全員の物欲に火をつけ、我が家の家計を真っ赤に染め上げていく。2700円の出費で済むはずだった戦いは、気がつけば数倍、数十倍の規模に膨れ上がっていた。一戦の敗北が、これほどまでに高くつくとは。

帰宅後、家の庭に目をやると、梅の木がひっそりと花を咲かせていた。

厳しい冬を耐え抜き、冷たい空気の中で凛と立つその姿は、あまりにも静かで、あまりにも無欲だ。現金が羽を生やして飛んでいく我が家の騒がしさに比べ、なんと気高く、落ち着いていることか。

今日はこの梅の木の写真を撮った。

ピンク色の小さな花弁を見つめていると、財布の軽くなった喪失感が、ほんの少しだけ和らぐような気がする。

春の訪れは喜ばしいが、我が家の春風は少々、財布に厳しすぎるようだ。明日からはまた、鉄粉にまみれて馬車馬のように働くしかない。あの、カービィを抱いて眠る坊の寝顔を守るために。