ファイナンシャルプランナー
正月休み、穏やかな空気の中に響いた着信音。知らない番号に首をかしげながらも、携帯キャリアからの連絡だということで重い腰を上げて電話に出たのが、すべての始まりでした。
「無料のFP相談を受けてみませんか? 勧誘はありませんから」
その誘いは、今の私にとって抗いがたい響きを持っていました。YouTubeで「節約術」や「家計の見直し」の動画を漁り、ふるさと納税に手を出し、家計簿アプリを入れては三日坊主を繰り返す。自分なりに「やっているつもり」ではあっても、現実は穴の空いたバケツで水を汲んでいるような感覚。いい加減、この不透明な不安に終止符を打ちたい。そんな思いで、私は今日という日を迎えました。
しかし、その決断がこれほどまでに自分を追い詰めることになるとは、玄関を出る時の私は知る由もありませんでした。
待ち合わせ場所に現れたFPの方は、驚くほど人当たりの良い、柔らかな物腰の人でした。初対面の緊張を解きほぐすようなプロの微笑み。しかし、対面して座った瞬間、私は喉の奥が乾くのを感じました。
「お金の話」というのは、これほどまでにプライベートなものだったのでしょうか。
それは、自分のクローゼットの中の、さらに奥に押し込めた「見たくないもの」を他人にさらけ出す作業に似ていました。自分の生活の足跡、だらしなさ、見栄、そして無知。それを初対面の、それも「お金のプロ」という清潔感の塊のような人物に見せなければならない。その二重のプレッシャーが、私の心拍数をじわじわと押し上げていきました。
面談が始まると、FPの方は丁寧な口調で、しかし私の急所を正確に突く質問を投げかけてきました。
「これから亡くなるまでのお金の動き方、大体把握されていますか?」
その問いに、私は言葉を失いました。私の頭にあるのはせいぜい「来月の支払い」や「次のボーナス」のこと。人生という長いスパンの、数千万、数億という単位のマネーフローなんて、SF映画の話のように遠く感じていたのです。
「一年で、トータルでいくら貯蓄できているかご存じですか? 昨年の今の通帳残高と比べればわかるのですが……」
二の句が継げませんでした。スマートフォンの画面越しに見ていた「節約」という記号は、実体を持たないただの慰めだったのだと突きつけられた気分でした。自分の指の間から、いくらこぼれ落ちているのかすら分からない。脇の下を嫌な汗が伝い、背中がじっとりと湿っていくのを感じました。
「退職金は、大体いくらくらい出るか予測はつきますか?」
もはや、頭の中は真っ白でした。自分の勤める会社のこと、自分の未来のことなのに、私は何も「自分事」として捉えていなかった。FPの方がメモを取るペンの音が、まるで私の無知をカウントダウンする時計の針のように響きました。
一時間半という時間は、永遠のように感じられました。
お金のことは好きでした。お金があれば安心だし、美味しいものも食べられる。けれど、私は「お金」という鏡に映る「自分自身の管理能力のなさ」から、ずっと目を背けてきたのです。
人当たりの良いFPさんの笑顔が、かえって痛烈な皮肉のように刺さります。「大丈夫ですよ」という優しさの裏側に、あまりにも杜撰な私の経済感覚が浮き彫りになっていく。それは、自分の恥部を白日の下にさらけ出すような、屈辱的で、それでいて逃げ出したくなるような時間でした。
これまでYouTubeで学んだ知識は、ただの「知識」でしかありませんでした。それを自分の生活という土俵に落とし込み、数字という冷徹な事実として突きつけられた時、私は自分がどれほど無防備な状態で人生という戦場に立っていたかを思い知らされたのです。
帰り道の夕暮れは、いつもより寒く感じられました。
「いいタイミングだった」はずの面談は、今の私にとって大きな「不安の種」へと姿を変えてしまいました。二週間後、またあの椅子に座らなければならない。次こそは、何らかの回答を持っていかなければならない。
しかし、この居心地の悪さこそが、今の私に必要な痛みなのかもしれません。「お金の話をしたくない」という拒絶反応は、現状を変えることへの恐怖そのものです。ザルのように漏れていく家計を、真っ白な頭を、一つずつ整理していくしかない。
重い足取りで帰路につきながら、私はスマートフォンのカレンダーを見つめました。二週間後の日付には、まだ何の予定も書き込まれていません。そこに書き込むべきは、逃避ではなく、直視した現実の数字。
不安が大きくなった日曜日。けれど、この冷や汗を忘れないことが、私の「本当の見直し」の第一歩になるのだと言い聞かせています。