小林多喜二の『蟹工船』を読み終えたとき、喉の奥に苦いものがこみ上げてきた。あそこまで凄惨な暴力が吹き荒れているわけではない。しかし、そこにある「構造」の匂いは、驚くほど今の自分たちの境遇と重なって見えた。

日記として、このやり場のない憤りを記しておこう。

題名:海老工船の記録

ふと手にした『蟹工船』。ページをめくるたび、物語の中の「博光丸」が、今自分が毎日通っているこの工場の姿に重なって見えて仕方がなかった。

あの中では、経営陣が会社の頂点に君臨し、監督や雑夫長といった管理職たちがその手先となって現場を支配する。そして、過酷な労働に耐える漁夫や雑夫たちは、まさしく自分たち現場の人間そのものだ。

会社はいつも「さらなる発展を」と唱え、「利益は皆に還元する」という美しい建前を並べ立てる。その言葉を信じたわけではないが、生活のために、僕たちは1年以上もの間、土曜日の休みを返上して現場に立ち続けた。だが、その結末はどうだ。

完成したのは、僕たちの汗と引き換えに建てられた豪華な新事務所だった。

僕たちが泥にまみれ、油にまみれて働いた結果が、あのお洒落なガラス張りの建物に姿を変えたのだ。一方で、経営陣は涼しい顔で「原材料費の高騰で、大して利益は出ませんでした」と締めくくる。言葉を失った。

新事務所の中にいる人間たちは、夏は涼しいエアコンの風に吹かれ、冬は暖かな部屋でぬくぬくと過ごしている。それでいて、僕たちの何倍もの給料を手にしている。

対して、現場はどうだ。夏場は室温が40度を超え、息をするのも苦しい熱気の中でヒーヒー言いながら仕事と向き合う。冬になれば、床板の鉄板から突き上げるような底冷えが全身を貫き、ガタガタと震えながら作業を続ける。

ここは「怪我のデパート」だ。誰かが火傷を負い、誰かが骨を折る。しかし、この会社には弱者への慈しみなどない。怪我をした人間がいれば、「不注意な間抜け」として片付けられるのが関の山だ。現場をこれっぽっちも知らない、涼しい部屋の住人からは、「こういう仕事なんだから、暑くて当たり前だろうが!」と怒鳴り声が飛んでくる。

一番の絶望は、この不条理な環境から抜け出せないことにある。

低賃金を補うために、僕たちは時間外労働に依存せざるを得ない。残業代が収入の基盤になってしまっている以上、過酷な労働を拒否すれば生活が立ち行かなくなる。この「抜け出せない鎖」こそが、現代の工船の正体なのかもしれない。

将来のことなんて、もう考えられない。考える余裕も、希望の種も見当たらない。

北洋の蟹ではなく、この地で這いつくばる僕たちの記録。

今日から、この場所を「海老工船」と名付けようと思う。