3月2日。あの日、愛犬coは股関節の大手術という大きな試練に立ち向かった。

それから二週間。脚に分厚いバンテージを幾重にも巻かれ、指示されたのは「絶対安静」。本犬としては自由に動けないもどかしさがあっただろうが、それでも時折、我慢できずに家の中を動き回る元気を見せてくれていた。

この二週間、誰よりもcoに寄り添ったのは親父だった。朝から晩まで、それこそ深夜に至るまで、言葉の通じない相手の痛みに耳を澄ませ、つきっきりで看病してくれた親父。そして、痛みに耐え、不自由なバンテージ生活を耐え抜いたco。本当によく頑張ってくれたと思う。今日という日は、その二人の、そして家族全員の努力が報われる「完治への第一歩」になるはずだった。

朝、車に乗り込むcoは、どこか弾むような足取りだった。

「今日でやっとバンテージが外れる」

「今日でやっと抜糸が終わる」

家族の誰もがそう信じて疑わなかった。ドライブが大好きなcoにとって、病院へ向かう道中さえも、元の生活に戻るための輝かしいプロローグに見えていたに違いない

病院に到着し、いつものように処置室へ預ける。レントゲン撮影とバンテージの取り外し。私たちは待合室で、「もうすぐだね」と笑い合っていた。

やがて処置を終えて戻ってきたcoは、なんだか妙にそわそわしていた。落ち着きがなく、どこか不安げな表情。

そんなcoを安心させたくて、俺と親父は何度も声をかけた。

「すぐ帰れるから、いい子にしようね」

「今日はすぐ終わるからね。すぐだよ、co」

その言葉は、coを励ましているようでいて、実は自分たちに言い聞かせていたのかもしれない。だが、戻ってきたcoの脚をふと見ると、あるはずの「抜糸」がなされていないことに気づく。

(おかしいな。ここで抜糸するんじゃなかったのか……?)

胸の奥に、小さな、けれど冷たい違和感が走った。

その直後、診察室に入ってきた先生の口から出たのは、予想だにしない残酷な宣告だった。

「再脱臼しています。残念ですが、術式を変更して再手術をしましょう」

頭が真っ白になった。え……? 再手術? しかも、今日?

あまりに唐突な言葉に、心臓が跳ね上がる。さっきまで「もうすぐ完治だ」と気楽に考えていた自分たちの楽観が、音を立てて崩れ去った。

今日、またあの手術を繰り返すのか? 本人の身体への負担はどうなる?

迷いが頭をよぎったが、先生はプロの視点で淡々と、しかし真剣に説いた。

「できることなら、筋肉が落ちきらないうちに。脱臼したままの状態が続けば、外れたり入ったりを繰り返すことになり、本人にとっても大きな苦痛になります」

その言葉に、ぐうの音も出なかった。最善の道が「今」であるならば、飼い主として選ぶべき道は一つしかない。「お願いします」――その一言を絞り出すのが精一杯だった。

だが、その瞬間だった。

「すぐ帰れるから」「今日はすぐだよ」と言い聞かせていた俺の言葉が、最悪の嘘に変わってしまったことに気づいたのは。

coは、まるで言葉を理解しているかのようだった。出口の扉の前に陣取り、一歩も動こうとしない。

「行きたくない。おうちに帰るんじゃなかったの?」

そう訴えかけるようなcoの瞳。先生に手術を依頼した瞬間、こちらを振り返ったその目は、「絶望」という二文字以外では到底言い表せないほど、深く、暗く沈んでいた。

病院のスタッフに抱えられ、処置室へと連れて行かれるco。

必死の抵抗だった。今まで聞いたこともないような、「ひぃひぃひぃ……ん」という、細く、高く、悲痛なうめき声が廊下に響き渡る。

co、ごめん。嘘をつくつもりじゃなかったんだ。

でも、結果として俺は、お前を裏切ってしまった。

処置室に消えていく間際、最後にこちらを見たあの悲しい顔。一生忘れられないほど、胸に深く突き刺さる拒絶の視線だった。

――数時間後。

手術は先生やスタッフの方々の尽力により、無事に終了した。

麻酔から覚め、家に帰ってきたco。身体の痛みだけでなく、心にも深い傷を負わせてしまったようだ。

「お疲れ様。よく頑張ったね」

労いの言葉をかけようと近寄った瞬間、coは剥き出しの牙を見せ、「うーっ!」と激しく唸った。

あんなに甘えん坊だったcoが、俺に対して明確な不信感を露わにしている。

その姿を見て、さらに申し訳なさが込み上げる。ごめん。本当に、ごめん。

今日からまた、リハビリの日々が始まる。

一度は裏切られたと感じているかもしれないけれど、それでも俺たちは諦めない。

お前の脚が元通りになり、また広い海辺を、大好きな家族と一緒に駆け回れるその日まで。

不器用な謝罪を繰り返しながら、今度こそ、本当の完治を目指して寄り添い続けようと思う。

co、今日は本当に辛い思いをさせてしまったな。

ゆっくり休んでくれ。明日からは、嘘のない「頑張ろう」を伝えていくから。