自分には、知識も教養も、致命的なまでに足りない。
「普通」の基準がどこにあるのかは分からないが、自分自身で「ああ、自分は空っぽだな」と痛感するのだから、相当なものなのだろう。
その欠落は、日々の何気ない振る舞いに、じわじわと毒のように染み出している。人との受け答えがどうしても冷たくなってしまったり、余裕がなくなるとすぐに感情的になってしまったりする。自分でも「なぜこんな言い方しかできないのか」と後悔するが、その場ではどうしようもない。
例えるなら、まだ言葉を十分に覚えていない赤ん坊と同じなのだ。
知っている言葉が少なすぎる。語彙という手持ちのカードが足りないから、胸の内に渦巻く複雑な思いを、正確に外へ伝える術を知らない。そのもどかしさが、攻撃的な態度や沈黙へと形を変えてしまう。
これまで、人と深く語り合うことも、多様な価値観に触れる経験も避けて通ってきてしまった。人の立場に立って考えるという、人間関係において最も基本的な「立ち振る舞い」ができないまま、悪循環を繰り返してここまで来てしまった。
ふと周りを見渡せば、顔見知りはいても、腹を割って話せる「友達」は一人もいない。
自分一人の人生なら、それでも構わなかったのかもしれない。
けれど、今の自分には守るべき家族がいる。このままの自分で居続けることは、自分一人の問題では済まない。「知識も教養もない父親」のままでは、いつか必ず家族に迷惑をかけ、彼らを傷つけてしまう。その危機感が、自分を突き動かした。
幼少期から積み上げてくるべきだった経験や知識を、今さら完璧に取り戻すのは不可能だろう。けれど、せめて活字に触れ、言葉を知る努力だけは始めようと決めた。
自分に課したハードルは、「月に最低一冊は、漫画や雑誌以外の本を読むこと」。
最初は、町の図書館へ通うことから始めた。
初めて足を踏み入れた図書館は、自分の知らない世界が詰まった宝箱のように見えた。一頁をめくるたびに、自分の中に新しい風が吹くような感覚があった。
しかし、三ヶ月も経つと、情けないことに「通う」という工程そのものが重荷になってきた。
家から図書館までは車で十五分。本を借りるためだけに服を着替え、車を出し、往復する。それだけで一時間近い時間を費やす。天気が悪ければ、それだけで家を出る気力が削がれる。
それ以上に苦痛だったのは、人の目だ。
もし、図書館で知り合いに遭遇したら?
自分は周りから「いい加減でアホな男」だと思われている。実際そうだし、自分でもそのキャラクターを演じることで楽をしてきた。それなのに、そんな奴が図書館で神妙な顔をして本を読んでいる。「あいつ、アホのくせに本なんて読んで、インテリぶっちゃって」――そんな風に思われるのが、怖くてたまらなかった。教養がないから自分に自信が持てず、どうしても他人の評価という鏡で自分を見てしまうのだ。
さらに、二週間という返却期限が、見えない鎖のように自分を縛り始めた。期限が迫ってくると、最後の一、二日は楽しむどころではなく、義務感に追われて本に縛り付けられる。読書が「自由」ではなく「息苦しさ」に変わっていくのを感じ、このままではせっかく始めた習慣が潰えてしまうと危惧した。
そこで、自分なりに考え抜いて、ひとつの解決策に辿り着いた。
以前から利用していたメルカリで本を買い、読み終わって不要だと思えば、またメルカリで売る。このサイクルに切り替えたのだ。
これが、驚くほど自分に合っていた。
メルカリなら、深夜だろうが雨の日だろうが、スマホ一つで本を注文できる。わざわざ着替えて外に出る必要もない。誰かに会って「インテリぶっている」と後ろ指を指される心配もない。図書館では常に貸出中になっているような話題作や人気作も、自分のタイミングで手に入れることができる。人気作はリセールバリューも高いから、経済的な負担も最小限で済む。
返却期限に追われるプレッシャーからも解放された。自分のペースで、一文字ずつ噛み締めるように読むことができる。この「メルカリ読書術」のおかげで、なんとか読書の習慣を途切れさせずに継続できている。
最近読み終えたのは、MEGUMIさんの『きれいはこれでつくれます。』だ。
美容の本ではあるけれど、そこには自分を整えることへの哲学があり、言葉があった。そうやって一冊ずつ、自分の内側に欠けていたピースを埋めていく作業を続けている。
唯一の悩みと言えば、このシステムには「弱点」があることだ。
読んでみて本当に面白かった作品や、心の奥底を揺さぶられた感銘深い作品に出会ってしまうと、どうしても手放すことができない。売れば次の本の資金になることは分かっているのだが、どうしても本棚に残しておきたくなる。
結果として、部屋の本棚は少しずつ、売れなかった「お気に入り」たちに占領され始めている。
けれど、それはそれでいいのかもしれない。
この本棚の余白が埋まっていくのと比例して、自分の心の中の、あの空っぽだった場所も、少しずつ言葉で満たされていくのだと信じたい。
今はまだ、赤ん坊が言葉を一つひとつ拾い集めている段階だ。
それでも、いつか家族に対して、そして自分自身に対して、冷たい言葉や感情的な爆発ではない、「本当の思い」を届けられるようになりたい。
一冊、また一冊と、自分の中の宝箱を増やしながら、明日もページをめくろうと思う。