来週からの業務予定が貼り出された。それを見た瞬間、胃のあたりが少し重くなるのを感じた。ペアを組む相手は、あの「TH君」だ。
以前、彼について書いたときは、もしかしたら彼が「善良で、ただ物静かな被害者」であるかのような印象を与えてしまったかもしれない。だが、実態はそんなに単純なものではない。彼は決して「従順」ではないのだ。むしろ、その沈黙の裏には、他者の介入を一切受け付けない強固な「我」が潜んでいる。
彼に何かを指示しても、彼はただ静かに頷く。分かったような顔をして、口数少なく。しかし、いざ蓋を開けてみれば、指示など最初から無かったかのように無視して自分のやり方を通す。中身がまるで見えないが、あれは確固たる、そして歪な「自信」の表れなのかもしれない。
そんな彼を遠くから観察してきた日々を振り返ると、不安は募るばかりだ。
1. 生乾きの「マイルール」
我が社は汚れ仕事が多いこともあり、作業着だけは使い切れないほど支給される。誰もが常に清潔な予備をストックしているなかで、彼は頑なに一着の作業着だけで回している。それも、自宅で洗うのではなく、会社の手洗い場で水洗いし、翌朝には生乾きのまま袖を通しているのだ。当然、洗剤の香りはしない。彼が通り過ぎるたびに漂う、あの独特で不思議な、湿った匂い。なぜ十分な着替えがあるのに、彼はその一着に固執し、不快な状態でいられるのだろうか。
2. 「金」への剥き出しの執着
彼は普段、自分のことを語らない。しかし、一度だけその沈黙が破られたことがあった。社員同士の親睦を深めるはずの宴会の席。あろうことか彼は、満座の中でこう言い放った。
「自分は時間外をたくさんやりたいです。残業代をたくさんもらいたい」
場の空気が凍りついたのを、今でも鮮明に覚えている。節約のためなのか、それとも莫大な借金でもあるのか。理由は何にせよ、あそこまで真っ直ぐに、かつ無作法に欲を晒せる人間はそういない。以来、彼は周囲から白い目で見られるようになったが、本人はどこ吹く風だ。
3. ゴミ袋を漁る背中
金への執着は、奇行となって現れる。複数の同僚が目撃しているのだが、彼は会社に設置されたゴミ袋に手を突っ込み、誰かが使い捨てたものを物色しては持ち帰っているというのだ。なかでも衝撃的だったのは、使用済みのマスクまで回収していたことだ。使い道など考えたくもないが、衛生観念すらも彼の「節約」という美学の前では無力らしい。
4. 異形のフォーマル
会社の創立記念式典での出来事も、もはや伝説となっている。「フォーマルな衣装、ジャケット着用」という明確なアナウンスがあった。当然、全員がスーツ姿で集まるなか、彼は期待を裏切らなかった。
現れた彼は、いわゆる「田舎の夏の葬祭ファッション」だった。礼服のスラックスに、半袖のワイシャツ、そして黒ネクタイ。ジャケットは、ない。
その姿は、左腕に腕章さえあれば葬儀委員長そのものだった。経営陣が呆気にとられ、「ジャケットは無いの?」と尋ねると、彼は食い気味に「ありません!」と潔く答えた。その迷いのない返答に、誰もそれ以上、何も言えなくなってしまった。
5. マムシと野性
そして、忘れもしないあの日。ある社員が捕獲したマムシを瓶に入れて持ってきた。毒々しい模様に皆が騒いでいると、普段は人との交流を一切断っているはずの彼が、肩をいからせて割り込んできた。
「そのマムシ、ください!」
息を荒くして詰め寄る彼に、周囲は身構えた。「これ、どうするんだ?」という問いに対し、彼は迷わず言い放った。
「食います」
あの時の、何とも言えない静寂。彼は文明社会に生きる「同僚」ではなく、何か全く別の原理で動く「生き物」なのだと突きつけられた気がした。
来週、私はこの男と肩を並べて仕事をしなければならない。
言葉が通じているようで、その実、心の芯までは届かない相手。自分の常識を物差しにしては、こちらが疲弊するだけだろう。
彼は一体、何を考えて生きているのか。
いや、考えたところで理解できるはずもない。
ただ、どうか平穏に一週間が過ぎてくれることを願うばかりだ。
まずは、あの生乾きの匂いと、彼特有の沈黙に耐える覚悟を決めなければならない。
(画像は内容と関係ありません)