我が社の採用試験は、驚くほどシンプルだ。書類選考を経て、面接はたったの一回。そこには小難しい適性検査も、論理的思考を問うグループディスカッションもない。あるのはたった一つの魔法の質問だ。
「あなたは、我が社で頑張れますか?」
この問いに対し、元気よく「はい」と答えさえすれば、それで合格。年齢制限などあってないようなもので、過去には55歳での採用実績もある。まさに門戸は全方位に開かれているわけだが、この「ザルの目」を潜り抜けてくる面々は、時として予想を遥かに超える「逸材」……いや、一種のモンスターを連れてくる。
今日紹介するのは、そんな我が社のモンスター図鑑の中でも、ひときわ異彩を放つ最年長クラスの男だ。
自由を愛しすぎた「フラフラ・モンスター」
彼は50代後半、入社2年目。本来であれば、人生経験を積んだベテランとして現場の重しになってほしい年齢だが、彼が重しになることはない。なぜなら、彼は常に「浮いている」からだ。
彼の仕事ぶりを一言で表すなら「のらりくらり」である。与えられた最低限の業務に対して、情熱を燃やす姿など一度も見たことがない。いや、情熱どころか、やる気の火種さえ湿りきっている。
彼の特技は、自分の持ち場を離れて社内をフラフラと徘徊することだ。どこかへ消えたと思えば、給湯室でぼーっとしていたり、他部署の様子を遠巻きに眺めていたりと、その足取りは自由奔放。周囲が忙しく立ち働いていようが、彼の中には悠久の時が流れている。
当然、周囲もバカではない。彼に何かを期待しても無駄であることは、入社数ヶ月で全員が悟った。
「あの人に新しいことを頼んでも、どうせやらないし、覚える気もないだろう」
そうして、彼は「現状維持」という名の聖域に守られることになった。彼がいなくても現場の仕事は回るし、むしろ彼がいない方がスムーズに事が進むことさえある。ある意味では、彼は「いなくても困らない」という究極のポジションを確立したのだ。
しかし、モンスターがモンスターたる所以は、ここからだった。
周囲が「期待しない」ことで平和を保とうとしていた矢先、彼はとんでもない行動に出た。なんと、上層部に対して堂々と「直訴」を行ったのである。その内容を聞いた時、現場の人間は全員耳を疑った。
「自分に時間外勤務(残業)がないのはおかしい。もっと残業をさせろ!」
……絶句である。
通常、残業というのは仕事が終わらない時や、急ぎの案件がある時に発生するものだ。あるいは、より高い成果を出すために時間を惜しんで働く姿勢の現れでもある。
しかし、彼は「新しい仕事を覚える気はない」と断言している。今の持ち場もフラフラしている。現状の仕事すらまともに完遂していない人間が、「金(残業代)が欲しいから時間を拘束しろ」と詰め寄ったのだ。
仕事の質を高める気も、量をこなす気もない。ただ、会社に滞在する時間だけを増やして、その対価をよこせという主張。これはもはや、労働の対価としての給与ではなく、単なる「場所代」の請求に近い。
さて、ここからが我が社の喜劇、あるいは悲劇の正念場だ。
「頑張れますか?」の問いに「はい」と答えた彼を採用したのは会社である。そして、その後の教育や配置転換をなあなあにしてきたのも会社だ。
「やる気はないが、金は欲しい」という、あまりにも純粋で身勝手な欲望を突きつけられた上層部は、今、かつてないほど頭を抱えている。
彼に新しい仕事を無理やり叩き込むのか?
あるいは、適当な雑用を作り出して、望み通り「残業」という名の暇つぶしをさせるのか?
それとも、このザルな採用基準そのものを見直すきっかけにするのか?
正直なところ、現場の人間からすれば、彼が残業代欲しさにフラフラする時間が増えることなど、たまったものではない。彼が夜遅くまで社内を徘徊する姿を想像するだけで、現場のモチベーションは氷点下まで突き抜ける。
「頑張れますか?」という質問に、彼は確かに「はい」と答えたのだろう。
しかし、彼が「頑張りたかった」のは仕事ではなく、いかに楽をして会社から利益を引き出すか、という一点だったのだ。
このモンスターをどう乗りこなし、どう手懐けるのか。
ザルで掬い上げた逸材への対応に、我が社のマネジメント能力の真価が、今、残酷なまでに試されている。