日曜の夜が更けていく。昨日、土曜の仕事帰りに買った安酒を喉に流し込み、何も考えまいと無理やり眠りについたはずだった。だが、結局はあっという間にこの時間がやってくる。週にたった一度の、この短い休息も終わりだ。
工場の外へ出た瞬間に吸い込む空気は、決して澄んでいるとは言い難い。けれど、工場の中で吸い込んでいる空気に比べれば、まだ幾分かマシなのだろう。夕闇が迫る工業団地を見渡すと、他社の駐車場はどこも閑散としている。世間で叫ばれる「働き方改革」の風は、隣近所の工場には少しずつ、しかし着実に吹き始めているようだ。我が社には、そんな穏やかな風など一切吹いてこない。ここは時の流れが止まったかのような、進歩を拒絶した場所だ。
工場内の環境は、一言で言えば「地獄」だ。
定期的に行われる作業環境測定の結果は、いつも決まって「第二区分」。管理濃度を超えているという証拠だ。改善の努力が見られないまま、俺たちは今日もその澱んだ空気を吸い続けている。かつて、軽率にも粉塵マスクをせずに作業を続けた結果、俺は副鼻腔炎という名の深淵に足を踏み入れた。鼻の奥で増殖する炎症は、顔面を突き刺すような激痛と、終わりのない倦怠感をもたらした。病院へ駆け込んだときには、すでに手術一歩手前という、ギリギリの瀬戸際だった。あのとき味わった、鼻の奥が膿で腐っていくような苦しみと、呼吸さえ満足にできない恐怖は、今も消えない傷跡として残っている。
上を見上げれば、雪の結晶のようにキラキラと舞い踊る白い粒子が、まるで俺たちの命を蝕むように漂っている。上を見上げれば目に異物が突き刺さり、病院送りになる。下を見れば重量物が転がり、足を挫く。上を見れば視力を奪われ、下を見れば身体を損なう。俺たちは常に死角と隣り合わせで、窮屈な綱渡りを強いられている。だから、俺たちは皆、下を向いて歩くことを「マスト」として叩き込まれているのだ。
そんな環境で、俺たちが唯一、自らを保つために頼りにしているものがある。
身体のどこかに痛みを感じたら、迷うことなくポケットからそれを取り出す。ロキソニン。誰が言い出したのか、いつしか社内では「神の与えし薬」と呼ばれるようになった。急性であれ慢性であれ、襲いかかる痛みを一時的に麻痺させ、無理やり身体を動かすための魔法の錠剤。痛みという身体からの警告信号を、力技で無効化する。そうしなければ、この環境下で一日たりとも立っていられない。
正直に言えば、この異常な状況を改善しようとする気力さえ、日々の疲労と痛みが削ぎ落としていく。
世の中には人間らしい環境で、未来を見据えて働いている人がたくさんいる。それに比べて、自分は何をしているのだろう。頭の悪い自分には、ここしか選択肢がなかったんだ。そう自分に言い聞かせて、蓋をしている。これが俺の選んだ人生の結末なのかと問うても、返ってくるのは工場内の機械の重低音と、過去の副鼻腔炎の悪夢、そして「改善の見込みなし」という無言の通告だけだ。
残念な話だ、と自分でも思う。
だが、今夜だけは、そのロキソニンもポケットの奥底にしまっておこう。明日はまた、粉塵の舞う日常が始まる。このつかの間の安息が、永遠に続けばいいなどという甘い夢を見ることは、もうやめた。
明日、俺はまたあの灰色の扉をくぐる。それでもせめて、太陽の下を歩くときくらいは、空を仰いで歩きたいと願う。そこに舞うのが雪であれ、雨であれ、粉塵ではない何かであってほしいと願いながら。