三連休の中日。どこもかしこも家族連れで賑わう中、私は娘を連れて携帯ショップのカウンターに座っていた。目的は、娘のスマートフォンを新規契約するためだ。

娘は現在、小学校四年生。親の立場からすれば、正直に言って「まだ早い」という思いが拭えない。私が暮らすこの辺りは、都会のようなスピード感とは無縁ののんびりした田舎だ。地域の暗黙のルールというか、教育方針のスタンダードは「携帯電話は中学生になってから」というのが一般的である。周りの友人たちを見渡しても、四年生で自分専用の端末を持っている子はそう多くない。

それなのに、なぜ今日、私は契約書に判を押し、高価なデバイスを手に入れたのか。

理由は皮肉なことに、きわめて現実的な「大人の事情」だった。ショップの店員は、いかにもお得だと言わんばかりの笑顔でこう告げた。

「未成年のご家族を使用者として登録いただくと、ご家族全員、月々の料金が格安になります」

家計を預かる身として、その魅力的な提案を無視することは難しかった。娘をユーザーとして登録するだけで、家族全体の通信費が抑えられる。教育方針という理想と、固定費削減という現実。天秤にかけた結果、現実に軍配が上がっただけの話なのだ。

しかし、手続きは想像以上に過酷だった。

プランの説明、フィルタリング設定の確認、幾度となく求められる署名。窓口に拘束されること二時間。店内の空調の乾燥と、情報の波に揉まれ、店を出る頃には足取りが鉛のように重くなっていた。肉体的な疲れというより、脳の芯が痺れるような、普段の仕事とは質の違う疲労感がどっと押し寄せてくる。

追い打ちをかけるのは、カレンダーの現実だ。世間は三連休を謳歌し、明日の朝もゆっくりと過ごすのだろう。しかし、私にそんな猶予はない。明日も明け方から仕事が待っている。静まり返った早朝の冷気に身を投じ、日常の歯車に戻らなければならない。そう思うだけで、頭がどうにかなってしまいそうな、言いようのない焦燥感に駆られる。

一方で、隣を歩く娘の様子はどうだろう。

彼女は、まだ手元にはない(あるいは箱の中に鎮座している)そのデバイスが、実質的に「自分のもの」になることを薄々察している。いや、確信しているのだろう。

隠しきれない喜びが、歩幅の軽やかさに表れている。時折見せる、頬を緩ませた「ホクホク」とした表情。地に足がつかないような、文字通り浮き足立ったその姿を見ていると、こちらの疲労困憊な様子とのコントラストがさらに際立つ。

娘のあの喜びよう。期待。

これから彼女を待ち受けるのは、指先一つで世界と繋がる便利さか、あるいはネットの海に潜む危うさか。私が抱いている「まだ早い」という直感は、親としての正当な防衛本能ではないのか。

家に着き、紙袋から取り出された真新しい箱を眺める。

この中には、最新のテクノロジーと、家族の家計を助ける契約と、そして娘の期待が詰まっている。だが、同時に私の不安も同封されているのだ。

いっそ、このまま渡さなければいいのではないか。

「これはあくまで契約上の道具であって、君が使うのはまだ先だよ」と。

このまま箱に入れたまま、クローゼットの奥深くに大事に保管してしまおうか。そうすれば、彼女の純粋な「四年生」としての時間は、もう少しだけ守られるのではないだろうか。

そんな意地悪で、けれど切実な独り言を飲み込みながら、私は明日の明け方の仕事に向けて、重い腰を上げる。手元に残ったのは、冷たいデバイスの感触と、少しばかり安くなる通信費の明細、そして、嵐の予感だけだった。