一週間の中で、最も足取りが重いのはいつだって月曜日だ。
ましてや、お世辞にも「健全」とは言い難い組織に身を置いていると、理不尽なトラブルや辟易するような人間関係は日常茶飯事。正直なところ、嫌なことが起きない日など一日たりともない。
しかし、私は決めている。
退社のタイムカードを押したその瞬間、すべての厄介事と、それに付随するどろどろとした感情を、会社のゴミ箱へ放り捨てて帰路につくのだ。
玄関のドアを開ければ、そこには会社員ではない「私」を待つ家族がいる。今日という晴天の月曜日、私はその特権を最大限に享受することにした。
まずは、家の中で丸くなっているポッチャリ気味の愛娘を、半ば強引に外へと連れ出した。運動不足解消という名目のもと、愛犬の散歩を兼ねた「春の探索」の始まりだ。
ターゲットは、土手や道端に顔を出し始めた「蕗(ふき)のとう」。
「あっちにあるかもよ」「あ、こっちにも!」
日が暮れ始め、空が淡い群青色に染まるまで、私たちは夢中になって歩き回った。娘の頬が少し赤らみ、少しだけ息を切らしている。デジタルな画面の中にはない、土の匂いと冷たい風の感触。そんな当たり前の季節を娘と共有できる時間は、仕事で削られた心を静かに修復してくれる。
帰宅してからも、息つく暇はない。
部屋では息子が、思うように進まないゲームに苛立ち、ふてくされていた。私は彼を諭し、感情のコントロールの難しさと、一歩引いて考える大切さを説く。父親らしい役回りを終えたかと思えば、次は娘のピアノ練習の立ち会いだ。拙い指使いが少しずつ旋律になっていくのを耳にし、宿題の出来を確認する。
キッチンに立てば、今度は料理人としての出番だ。手早く夕飯を仕上げ、子供たちを風呂に入れ、今日一日の出来事を語らいながら寝かしつける。
客観的に見れば、仕事で疲れた体に鞭打つ重労働かもしれない。しかし、布団の中で子供たちの寝顔を見つめていると、不思議と「今日は良い一日だった」という確信が込み上げてきた。
世の中には「月曜日は最悪だ」と嘆く声が溢れている。確かにそうかもしれない。だが、会社に心を売り渡すのは、就業時間内だけで十分だ。
タイムカードを押した後の時間は、誰にも邪魔させない私の、そして家族の聖域である。
「明日も、夕方5時からが本当の勝負だ」
そう自分に言い聞かせ、私は静かに部屋の明かりを消した。充実感という心地よい重みを背中に感じながら。