まだ街が深い眠りから覚めきらない早朝、私は一人、静かに家を出る。

家族の寝息だけが響くリビングを通り抜け、玄関の重い扉を閉める。月曜日の朝というものは、いつだって身体が鉛のように重い。それでも、世の中の歯車の一つとして、私は自分の持ち場へと向かわなければならない。白湯を胃に流し込み、気合という名の無理やりなエンジンをかけて、会社にむかう。それが「父親」という役割の、私の日常だ。

会社に到着し、機械を立ち上げる。暖機運転を終え、ようやく仕事のエンジンがかかり始めた頃、ポケットのスマートフォンが小さく震えた。

学校のスクールアプリだった。

『本日、腹痛の為お休みします。』

画面を見つめたまま、私は思わず小さく溜息をついた。

家を出る時、彼女はまだ布団の中で丸くなっていた。昨夜から少し「明日は学校か……」とこぼしていたのは知っていたが、いざ「休み」という確定事項を突きつけられると、心の中に複雑な感情が渦巻く。

(おいおい、君は今週、あと二日行けばまた休みじゃないか)

カレンダーに目をやる。明後日は建国記念の日。たった二日。その二日間を乗り切れば、また羽を伸ばせるというのに。

(父親を見てみろ。こっちは祝日だって関係なく現場に出ているんだ。お腹が痛いくらいで……)

そんな言葉が喉元までせり上がってくる。自分は眠い目を擦り、重い身体を叩き起こして、こうして戦いの場に立っている。その自負があるからこそ、逃げ道を選んだ娘に対して、どこか突き放したような、説教じみたことを言いたくなるのだ。

しかし、手すりに背中を預け、天井を見上げた瞬間。

ふと、遠い記憶の断片が、セピア色の映像となって脳裏に蘇ってきた。

それは、今の娘と同じくらいの年齢だった、かつての私自身の姿だ。

私もまた、月曜日が怖くてたまらない子供だった。

日曜日の夜、サザエさんのジャンケンが終わる頃から、胸の奥がギュッと締め付けられるような予感に襲われる。そして月曜日の朝、カーテンの隙間から差し込む光が恨めしくて、布団を頭まで被って現実を拒絶した。

「お腹が痛い」

それは嘘ではなかった。けれど、病院で診断がつくような病気でもなかった。ただ、新しい一週間という巨大な壁を前にして、心が、そして身体が、悲鳴をあげてストライキを起こしていたのだ。

あの時、必死に「学校に行きたくない」と訴えていた私を、今の私が見たらどう思うだろうか。

おそらく、今の娘にかけてやろうとした言葉と同じものを、自分自身にぶつけていたに違いない。けれど、あの時の私にとって、月曜日の朝の絶望は、世界の終わりと同じくらい深刻なものだった。

「……血なのかな」

独り言が、無人の工場に虚しく響いた。

今の娘の姿は、数十年という時を超えて現れた、私自身の写し鏡なのではないか。

朝の光を拒み、言いようのない不安に胃を痛め、ただ「今日という日をやり過ごしたい」と願う。その弱さも、繊細さも、そして月曜日という怪物に立ち向かえない不器用さも、すべて私から受け継いでしまったものだとしたら。

そう思うと、先ほどまで抱いていた「甘えるな」という憤りは、急速にしぼんでいった。代わりに湧き上がってきたのは、自分と同じ痛みを知る同志に対するような、奇妙で切ない共感だった。

私は、手に持つスマホの、待ち受け写真に目を落とした。

娘よ。君が今、温かい布団の中で感じているその安堵感も、そして同時に感じているであろう微かな罪悪感も、私は痛いほどよく知っている。

君の父親は、今こうして立派な顔をして働いているけれど、その中身は君と同じ、月曜日が怖くてたまらない弱虫のままだ。ただ、君よりも少しだけ長く、その弱さと付き合う術(すべ)を覚えただけに過ぎない。

私は手に持っていたスマートフォンをポケットに戻した。

強く言えるはずがないのだ。何しろ、この重い身体を動かして会社に来ている私自身が、今でも心のどこかで「お腹が痛くなればいいのに」と願っているのだから。

私は大きく一つ伸びをして、水筒の白湯を飲み干した。

娘が今日一日、家というシェルターの中で心を休め、水曜日には少しだけ前を向けるようになることを願う。そして私は、彼女から引き継いだ(あるいは彼女に受け継がせてしまった)この「憂鬱」を背負いながら、今日という一日を戦い抜こうと思う。

血は争えない。けれど、その血が流れているからこそ、私は誰よりも君の味方になれる。

さあ、仕事に戻ろう。明日、彼女が「おはよう」と少し元気な顔で起きてくることを信じて。