20×42=844
現場の資材を眺めて、思わず乾いた笑いが漏れそうになった。 「20kg × 42袋 = 844kg」。 堂々と書かれたその文字を前に、私はただ、言葉を失う。小学生でもわかる算数の理屈が、この会社では通用しないらしい。10の位がゼロである以上、答えの末尾が「4」になることなど、数学的にあり得ない。それなのに、誰一人としてこの異様な計算式に疑問を抱かず、今日も平然と仕事が進んでいく。
この違和感を「自分が細かいからだ」と思い込もうとした時期もあった。しかし、今は違う。これは単なる「細かさ」の問題ではなく、この組織が抱える底知れない「鈍感さ」への絶望に近い。
「どんぶり勘定」という言葉があるが、うちのそれは「どんぶり」にすらなっていない。ただの放り出しだ。 現場には「職人仕事なんだから、感覚が大事だ」という空気が蔓延している。確かに、指先の感覚や長年の経験がモノを言う場面は否定しない。しかし、それは「数字を適当に扱っていい」という理由にはならないはずだ。
むしろ、一流の職人ほど道具の手入れに余念がなく、材料の分量をミリ単位、グラム単位で把握しているものではないのか。数字を雑に扱うということは、自分が向き合っている仕事そのものを雑に扱っているのと同じだ。4キロの誤差を「誤差」とも思わない無神経さが、製品の質や現場の規律に影響を与えないはずがない。
周りを見渡せば、皆、楽しそうに「感覚」で動いている。在庫の数が合わなかろうが、計算が合わなかろうが、「帳尻を合わせればいいんだよ」と笑っている。その光景を見ていると、正論を抱えている自分の方が、まるで場を乱す異分子のように思えてくる。
「そんなに数字ばかり見ていて楽しいか?」 「もっと現場の空気を感じろよ」
そんな無言の圧力を感じるたびに、深い溜息が出る。私が気にしているのは、単なる算数の正誤ではない。数字という「客観的な事実」を軽んじる、この組織の体質そのものに呆れているのだ。事実を直視せず、その場の雰囲気で物事を進めていく。その先に待っているのは、綻び(ほころび)だらけの未来ではないか。
こうしたことを気にする自分を「小さい人間」だと思うこともある。だが、もしこれが「小ささ」だというのなら、私は喜んで小さいままでいたい。 4キロの謎をスルーして、10キロ、100キロの誤差に繋がっていくのを黙って見ていることの方が、よほど不誠実だ。数字への鈍感さは、仕事に対する敬意の欠如だ。その「4」という数字には、誰かの適当な判断や、確認を怠った怠慢が凝縮されている。それを「仕方ない」で済ませられるほど、私は自分の仕事を安売りしたくない。
正直、この会社に「正確さ」を求めること自体、砂漠で水を探すような徒労感がある。上から下まで、数字に無頓着なことが「男らしさ」や「現場主義」だと勘違いしている節すらある。呆れを通り越して、もはや哀れみすら感じるのが本音だ。
それでも、私は明日もまた、矛盾に気づいてしまうだろう。そして、心の中でそっと正解を書き直す。組織を変えることはできないかもしれないが、せめて自分だけは、この濁った空気の中に飲み込まれないようにしていたい。数字を丁寧に扱うことは、私が私であるための、最後の防波堤なのだ。