情けない。
年の瀬が迫り、寒さがいよいよ牙を剥き始めている。我が社の現場は過酷だ。温度計の針は一桁台を指し、吐く息は白い。凍えるような空気の中で一日中体を動かし、ようやく業務を終えて帰路につく。冷え切った体を引きずり、暖かい自宅のドアを開ける。その瞬間、緊張の糸がプツリと切れる。
「ただいま」の声もそこそこに、暖房の効いたリビングに腰を下ろすと、抗いようのない眠気が襲ってくる。これが今、我が家で悪名高い「パパの風呂キャンセル界隈」の入り口だ。特にアルコールが一杯でも入ろうものなら、もうおしまいである。気づけば朝、服を着たままリビングで目を覚ますという不始末。清潔感も、家事の分担も、すべては夢の彼方へ消え去る。
ふと考えてみれば、夏も同じだった。炎天下の現場から、クーラーの効いた天国のような部屋に帰れば、やはり同じように泥のように眠っていた。暑かろうが寒かろうが、結局は眠いのだ。言い訳を探せば「気温差による疲労」だろうが、実のところ、やるべきことから目を背けるための格好の免罪符にしているだけではないか。そんな疑念が頭をよぎる。
2025年の年明け、私はどれほど息巻いていただろうか。「今年こそは」と心に誓ったはずの目標たちが、今、未完の山となって部屋の隅に積み上がっている。
メルカリで売ろうと決めた不用品は、断捨離されるどころか物置で化石化しつつある。株や投資信託を学ぼうと買った参考書は、一度もページをめくられることなく、PERやPBRといった用語は未だに呪文のようにしか聞こえない。何より胸が痛むのは子供のことだ。教育に向き合うと決めたはずが、ふと横を見れば、我が子はタブレットに吸い込まれそうな勢いでゲームに没頭している。父親として注意する気力もなく、共にゲーム依存の沼に片足を引きずられているのが現状だ。
「毎日、日常を記録しよう」と決めた日記も、月一回書けばマシな方。何もやれていない。いや、正確には「何にもやらなかった」のだ。41歳という、人生の折り返し地点を過ぎた男の背中としては、あまりに不甲斐ない。
成果と言えるものは何一つ思い出せないまま、カレンダーだけが最後の一枚になった。 「ダメな41歳だな」と自嘲しながら、私は今日も暖かい部屋で、重たい瞼と戦っている。
しかし、こうして「何もできなかった」と吐露できるのは、心のどこかにまだ「次はこうしたい」という火種が残っている証拠ではないだろうか。2025年の幕は間もなく閉じる。だが、風呂キャンセル界隈の住人であっても、不甲斐なさを噛み締める心がある限り、まだ終わったわけではない。
とりあえず、今日こそは。 ビールを開ける前に、まずは風呂の給湯ボタンを押すところから始めてみようと思う。