「スノーボード、やってみたい!」 そんな子供のキラキラした瞳に負け、我が家の冬の挑戦が始まった。とはいえ、一筋縄ではいかないのが子育てだ。第一陣として挑戦した上の子は、初回であっけなく挫折。今回は、まだリフトに乗るレベルには遠い下の子と二人、自宅から最も近いスキー場へと車を走らせた。

今年の冬は例年にない豪雪だ。道中、視界に入るのは見上げるような雪の壁。普段の冬ならお目にかかれないような圧倒的な白の世界が広がっている。目的地に到着してまず直面するのは、この「少し寂れたスキー場」ならではの試練だ。

駐車場からゲレンデまでが、とにかく遠い。 緩やかな、しかし確実に体力を削る坂道が続く。親である私は、自分と子供のボード、ブーツ、そして細々とした重装備をすべて抱え、雪道を一歩一歩踏みしめる。まさに「一仕事」という言葉がふさわしい。

ふと隣を見ると、手ぶらの子供はそんな苦労などどこ吹く風。積もった雪に足を取られては喜び、ふざけながら坂を登っていく。「子供はいいよな……」という呟きが、冷たい空気の中に溶けていった。この時点で私のライフポイントは半分近く削られていたが、子供の笑顔を見れば「今日こそは」と気合を入れ直さずにはいられなかった。

いざゲレンデに到着し、板を履かせる。さあ、練習開始だ。まずは真っ直ぐ滑る感覚を、次は止まる練習を――。 しかし、親の構想は開始数分で脆くも崩れ去る。

とにかく、子供の集中力が続かないのだ。 一本、二本と滑ったかと思えば、板を履いたままゴロンと雪の上に寝転んでしまう。「何をしているんだ」と覗き込めば、小さな手で器用に雪を丸め、雪ウサギを作り始めている。

「我が家のスノーボードは、あくまで遊びだ。レジャーなんだ」 自分にそう言い聞かせ、仏のような心でやる気スイッチが入るのを待つ。しかし、待てど暮らせどスイッチがオンになる気配はない。しびれを切らして雪合戦の相手をしてみるが、それはスノーボードの練習ではなく、単なる「雪遊び」の延長線だ。

ようやくスイッチが入ったとしても、それは線香花火のように一瞬で消えてしまう。真面目に板に向き合う時間は、雪山の一日の中ではほんの僅かな瞬間に過ぎない。

私は、決して気が長い方ではない。重い荷物を運び、冷たい風に打たれ、時間をかけてここまで来たのだ。その「対価」として、少しは上達する姿を見せてほしいと願ってしまう。

「ほら!せっかく来たんだから、もっと真面目にやりなさい!」

つい、語気が強まる。追い込んでしまう。 スポーツにおいて、最初に「嫌い」「苦しい」という印象を植え付けてしまったら、その後の芽を摘んでしまうことは痛いほど分かっている。無理強いは逆効果だ。頭では理解していても、目の前で雪と戯れ、教えを右から左へ受け流す我が子を見ていると、どうしても我慢が限界に達してしまう。

結局、この日「練習」らしい練習ができたのは、わずか30分ほどだった。 不完全燃焼のまま、「今日はおしまい」と切り上げる。帰り道、重い荷物を再び担ぎながら、私はいつものように自己嫌悪に陥る。

「もっと優しく教えられなかったのか」 「自分の性格がもっと辛抱強ければ、あの子も楽しく上達できたのではないか」

教え方の下手さ、そして自分の器の小ささを反省し、重い足取りで駐車場へと戻る。

しかし、そんな私の暗い反省を吹き飛ばすのは、決まって息子のあの一言だ。

「あー楽しかった!パパ、また行きたいね!」

雪まみれになった顔で、屈託のない笑顔を見せられると、私の胸の中のモヤモヤは行き場を失う。あんなにふざけていたのに、あんなに叱られたのに、彼にとっては「パパと雪山に来たこと」そのものが、最高に楽しい体験だったのだ。

リフトにも乗れず、雪ウサギを作って終わった一日。 けれど、彼の中に「スノーボードは楽しい」という種が残っているのなら、それでいいのかもしれない。親の修行はまだまだ続きそうだが、その一言がある限り、私はまた重い荷物を抱えて、あの雪の坂道を登ることになるのだろう。