入院まであと1週間。カレンダーを直視するのが怖い。日が沈むたびに、得体の知れない重苦しさが体の中に溜まっていく。
正直に書こう。今、私は猛烈に「嫌だ」。
手術が怖いのはもちろんだが、それ以上に、今回の「いぼ痔の手術」という現実が、私の自尊心をじわじわと削り取っていく。
病院という場所は、効率と治療の名の下に、個人のプライバシーを容赦なく剥ぎ取っていく場所だ。これから1週間、私は毎日、見ず知らずの医療従事者に自分の患部を晒し続けなければならない。処置のたびに「ケツを出す」という行為。頭では「医療行為だ」と理解していても、心が追いつかない。自分の最も無防備でプライベートな部分を管理され、自由を奪われることに、耐え難い屈辱と「尊厳の欠如」を感じてしまうのだ。
追い打ちをかけるのは、季節の残酷さだ。
毎年、この時期は家族で桜を見に行くのが恒例だった。満開の桜の下、家族で笑い合いながら過ごす時間は、私にとって何よりの宝物だ。しかし、今年の開花時期、私は冷たい病室のベッドの上にいる。
窓の外に広がる春の気配を、私はただ眺めることしかできない。家族が花見を楽しんでいる間、自分はプライバシーのない大部屋で、術後の痛みと羞恥心に耐えている。その対比を想像するだけで、胸が締め付けられる。「なんでこんな大事な時に、こんな目に遭わなきゃいけないんだ」という卑屈な思いが、喉の奥までせり上がってくる。
家を留守にするのも嫌だ。自分の居場所を失い、管理された檻の中に入れられるような感覚。
入院準備を進めようとしても、手が止まる。タオルや着替えをバッグに詰める作業が、まるで自分の自由と春の楽しみを自分で梱包しているようで、情けなくて、空しくて、溜息しか出てこない。
明日は術前検診。「来い」と言われているから行かなきゃならないが、足が鉛のように重い。病院の白い壁を見るだけで、自分の個性が消されていくような気がして、逃げ出したくなる。
今の私は、前向きな言葉なんて一文字も書けない。ただ、この泥のような感情を抱えたまま、明日という日をどうにかやり過ごすこと。それだけで精一杯だ。
もし、今の私がひどく暗く、卑屈に見えるなら、それは私が私自身の「人間としての形」と「家族との思い出」を必死に守ろうと抗っている証拠なのだと思う。
これはソメイヨシノではなく、河津桜である…