カレンダーの数字を眺めるたび、入院へのカウントダウンが耳元で時を刻んでいるように感じる。あと3日。たった72時間後には、あの白く無機質な「収容所」へ足を踏み入れなければならない。そう思うだけで、心の奥が重く沈んでいく。

今回の手術を終えたら、少なくとも一ヶ月は酒を断たなければならない。コーヒーだってそうだ。病院のカップで飲むそれは、きっと喉を潤すだけの作業に過ぎないだろう。豆を挽く時のあの芳醇な香りや、ゆっくりと蒸らす時間、そして一口目のあの充足感。そんな「本当のコーヒー」とは、退院するまでしばしの別れになる。

皮肉なものだ。失うと分かった途端、それらが狂おしいほど愛おしくなる。

入院が決まる前は、あんなに几帳面に守れていた休肝日も、今ではすっかり形骸化してしまった。「あと数日なんだから」という言い訳が、いとも簡単に自分の中の規律を追い出してしまう。夜、冷蔵庫を開けてビールを手に取る時、どこか背徳感に似た焦燥感がある。飲みたいから飲むというより、奪われる前に自分のなかに刻み込みたい、という強迫観念に近い。

今の自分にとって、晩酌のひとときや、お気に入りの一杯を嗜む時間は、単なる嗜好を超えて「自由」の象徴だったのだと痛感する。それが取り上げられ、管理された生活に身を投じるのかと思うと、どうしてもゲンナリしてしまう。

「不摂生だ」と笑われるかもしれない。けれど、この揺らぎも、ままならない葛藤も、今の自分の偽らざる姿だ。

残りわずかな自由時間。

せめてあと数日は、自分を縛るのをやめようと思う。お気に入りのグラスに酒を注ぎ、豆を少し贅沢に使ってコーヒーを淹れる。

「あの時は飲みすぎたな」と、退院後の自分と笑い合えるように、今はただ、この日常の最後の一滴までを、大切に飲み干しておきたい。