今日は娘のピアノ教室の日だ。
仕事の合間を縫って車を出し、送り迎えをする。週に一度、このルーティンをこなすたびに、私は自分のした選択が「正解」だったという確信を深めている。
ピアノのレッスンというのは、一対一の真剣勝負だ。相手は親でも学校の先生でもない、一人の専門家。その大人と対等に、マンツーマンで向き合う濃密な30分間。
教室内で待っていると、聞こえてくる音色や沈黙から、空気がピンと張り詰めているのがわかる。
娘の後ろ姿に、私は驚かされることがある。
家ではソファでだらけているような彼女が、見たこともないほど背筋を伸ばし、一心不乱に鍵盤に向かっているのだ。その小さな背中には、子供ながらに何かを背負い、挑んでいる者の気高さがある。
レッスンが終わって車に乗り込むと、彼女は「ふぅーっ!」と大きくため息をつき、「先生の前だと緊張するし、もう本当に疲れる!」とこぼす。
だが、その表情はどこか清々しい。今のところ、彼女の口から「辞めたい」という言葉を聞いたことはない。
親として、私はその「心地よい緊張感」こそが、彼女にとって何よりの学びになると信じている。自分一人で責任を持ち、大人と向き合い、音を出していく。その疲労感は、彼女が着実に成長している証拠に他ならないからだ。
実は、私がこれほどまでに娘のピアノに感慨を覚えるのには、私自身の苦い過去がある。
今から30年前、私もまた、小学生としてピアノを習っていた。
最初は、ただなんとなく始めたことだった。しかし、私が真面目に鍵盤に向かう姿を見て、父や母は大きな期待を寄せてくれた。
我が家は決して裕福な家ではなかった。それなのに、両親は無理をして、私に立派なアップライトピアノを買い与えてくれたのだ。黒く光るその大きな楽器が家に届いた日の、あの重厚な木の匂いを今でも覚えている。
しかし、あんなに欲しかったはずのピアノが自分のものになった途端、私の情熱は急速に冷めていった。
練習は単なる義務になり、上達しない自分に苛立ち、次第にピアノの前に座ることさえ苦痛になった。
本来なら、その時点ですぐに辞めればよかったのだ。しかし、買ってくれたピアノの値段や、毎月の月謝、そして両親の期待を考えると、「辞めたい」という言葉が喉の奥で詰まって出せなかった。
結局、私はやる気もないまま、無気力に4年もの歳月をピアノ教室に費やしてしまった。
高いピアノと、決して安くない授業料。親が必死に働いて工面してくれたそれらを、私はドブに捨てるような真似をしてしまった。
その申し訳なさと情けない自分への嫌悪感は、いつしか「ピアノ」という存在そのものを、私のトラウマに変えてしまったのだ。
私が成長し、家庭を持ってからも、そのピアノはずっと実家の片隅に置かれていた。
誰も弾くことのないまま布を被せられ、埃をかぶり、静かに佇む黒い塊。
ふとその姿が目に入ると、私は決まって胃のあたりが重くなるような感覚に陥った。それは、30年経っても消えることのない「投げ出した自分」への判決文のようでもあった。
調律もされず、音は完全にズレてしまっている。
それは私の人生における、手をつけることのできない「過去の失敗」の象徴だった。
しかし、事態は思いもよらない形で動き出した。
娘がピアノを習いたいと言い出したとき、私は迷わずあのピアノを練習用として使うことに決めたのだ。
ピアノは、あちこちの音が狂い、30年という歳月の重みを湛えていた。だが、娘はその蓋を躊躇なく開け、私の止まっていた時間に触れた。
確かに音程が外れている。けれど、その不協和音を聞くたびに、私の心の中にあった暗い澱(おり)が、少しずつ、確実に消えていくのを感じた。
娘がピアノに向かうその背中は、かつて逃げ出した私の後ろ姿を上書きしてくれている。
彼女が鍵盤を叩くたび、埃をかぶっていた私の罪悪感は、日々の生活の音の中に溶け込んでいった。30年という長い時間を経て、ようやく私は、あの日の自分と和解できたのかもしれない。
娘は今、私が逃げ出してしまった「継続する苦しさ」や「緊張感」と戦っている。
彼女が必死に背筋を伸ばしてピアノに向かう姿を見るたび、私は心の底から彼女に感謝している。
彼女は知らないだろう。自分がただピアノを弾いているだけで、父親の30年越しの後悔を精算してくれていることを。
彼女が「疲れた」と言いながらも通い続ける姿が、私にとってどれほどの救いになっているかを。
「今日も頑張ったな。お疲れ様」
車の中、ルームミラー越しに娘に声をかける。
本当は「ありがとう」と伝えたいのだが、それを言うのは少し違う気がして、私は父親らしく短く労う。
彼女が奏でるズレた音階は、今の私にとって、どんな名曲よりも心地よい調べだ。
娘には、ピアノを通じて「何かを続ける強さ」を手に入れてほしい。
たとえいつか彼女がこのピアノを卒業する日が来ても、この家に再び音楽が戻ってきたという事実は、私の人生に温かい光を灯し続けてくれるはずだ。
夕暮れの街を、娘を乗せて走る。
バックシートで少し眠そうにしている彼女の横顔を見ながら、私は心の中で、もう一度だけ「ありがとう」と呟いた。