週末の朝、窓の外は見事な快晴だった。突き抜けるような青空と、キンと冷えて澄んだ空気。絶好のスノーボード日和だ。私は意気揚々と子供たちを誘った。「今日は山に行こう!最高の雪質だぞ」と。

しかし、返ってきたのは、こちらが拍子抜けするほどドライで、かつ現代的な拒絶だった。

「今日は無理。朝からゲームのイベントがあるから、遠出なんてできないよ」

画面を見つめる子供たちの背中からは、一歩も引かないという強い意志すら感じられた。

「コイツら……」と、喉まで出かかった言葉を飲み込む。

親が良かれと思って準備したアクティビティよりも、画面の中の仮想世界で開催される期間限定のイベントの方が、彼らにとっては「リアルな優先事項」なのだ。デジタルネイティブ世代の価値観に溜息が出るが、ここで引き下がっては、貴重な休日がブルーライトに飲み込まれて終わってしまう。

私は半ば強引に、プランBを発動させることにした。遠出がダメなら、せめて近場だ。

「それなら、近所の公園でサッカーをしよう。外はこんなに晴れているんだぞ!」

当然、子供たちは猛反発だ。「行きたくない」「疲れる」「ゲームのクエストが……」と、あーでもないこーでもないと、行かないための理由を立て板に水のごとく並べ立てる。その弁舌の鋭さを、少しは学校の発表にでも活かしてほしいものだ。

しかし、今日の私は一歩も引かなかった。不満を漏らす子供たちの背中を押し、半ば無理やり玄関から連れ出した。外に出るまではブツブツ言っていた彼らだったが、いざ公園に着き、太陽の光を浴びながらボールを蹴り始めると、空気は一変した。

走り回るうちに頬は赤らみ、白い息が弾む。程よい風が汗を抑えてくれ、気がつけば、あんなに渋っていた子供たちの顔に、ゲーム画面を見ている時にはない「生きた表情」が戻っていた。体を使って競い合い、笑い合う。そんなシンプルで原始的な楽しさが、理屈を超えて彼らの中に浸透していくのがわかった。

サッカーを終え、いざ帰路につこうとした時、意外な提案が子供たちの口から飛び出した。

「帰りに、海でシーグラスを拾いたい」

正直に言えば、私の心の中には迷いがあった。海に行けば砂が靴に入り、車も汚れる。後片付けの手間を考えると、少し不快感すら覚える。しかし、ふと思った。ここで断れば、彼らはまた家に戻り、すぐさまコントローラーを握りしめるだろう。「ゲームに戻られるくらいなら、砂の不快感くらい飲み込んでやる」——私はハンドルを海へと切った。

海辺に到着すると、そこには公園とはまた違う、穏やかで豊かな時間が流れていた。

冬の海は静かで、規則正しい波の音が心地よく響く。子供たちは砂浜にしゃがみ込み、波に洗われて角が取れた色鮮やかなガラスの欠片を、宝探しのように夢中で探している。

「これ、見て!すごく綺麗だよ」

「こっちは珍しい青色だ!」

波の音を聞きながら、子供たちと一緒に砂の上を歩き、視線を落として自然の造形美を探す。それは、デジタルな喧騒から最も遠い場所にある、贅沢で穏やかな時間だった。最初こそ渋っていた外出だったが、終わってみれば、私にとっても子供たちにとっても、五感をフルに使う素晴らしい休日になったのだ。

家に戻り、一息つく。結局、砂の付いた靴の掃除は待っているし、彼らはまたデジタルな世界へ戻っていくのかもしれない。けれど、今日という一日に、彼らの記憶の中に「風の感触」や「波の音」、そして「親と一緒に笑った記憶」を刻み込めたのなら、私の強引な誘いも無駄ではなかったはずだ。

さて、平日の夜を使って、来週の計画を練るとしよう。次はどんな手を使って、彼らをあの「城」から連れ出そうか。

デジタル全盛の時代だからこそ、親である私が、泥臭く、しつこく、外の世界の豊かさを教え続けていきたいと思う。